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都鄙(とひ)問答(もんどう)
―心学の真髄を説いた石田梅岩の主著―

江戸中期の思想家石田梅岩(ばいがん)(1685~1744)の主著。4巻16段の問答体形式。元文4年(1739)刊。

梅岩は石門(せきもん)心学の創始者。丹波国桑田郡東懸(とうげ)村(現京都府亀岡市)の農家の二男に生まれる。11歳で京都に出て商家に奉公したが、15歳で一時帰郷、23歳のとき再び上京し、43歳になるまで商家に奉公した。

奉公のかたわら独学で神儒仏の諸思想を研究、45歳のとき、京都車屋町の自宅で心学の講座を開いた。神儒仏を合わせた実践哲学を平易に説き、庶民の間に多くの信奉者を得た。梅岩の教えは「町人哲学」といわれ、わが国に勤勉と倹約の精神を普及させた。

本書は石門心学の根本理念を説いた書で、第1巻では総論を説き、第2巻では神儒仏諸思想の一致を説く。とくに商人の道が賤しい職業であるといわれていたことに対し、士農工と同等であると反論している。

第3巻は独自の心学哲学が説かれ、第4巻は具体的な事例について梅岩の主張を述べられている。

目次
巻之一
 都鄙問答の段
 孝の道を問の段
 武士の道を問の段
 商人の道を問の段
 播州の人学問の事を問の段
巻之二
 鬼神を遠と云事を問の段
 禅僧俗家の殺生を譏(そしる)の段
 或(ある)人親へ仕の事を問の段
 或学者商人の学問を譏の段
巻之三
 性理問答の段
巻之四
 学者行状心得難きを問の段
 浄土宗の僧念仏勧の段
 或人神詣を問の段
 医の志を問の段
 或人主人行状の是非を問の段
 或人天地開闢の説を譏の段

 曰。然らば商人の心得は如何致(いた)して善(よ)からんや。

 答。最前(さいぜん)に云る如くに、「一事に因(よつ)て万事を知る」を第一とす。一を挙(あげ)て云はヾ、武士(ぶし)たる者、君の為に命(いのち)を惜(をし)まば士(さぶらひ)とは云はれまじ。

商人(あきびと)も是を知らば、我道は明かなり。我身を養(やしなは)るヽうり先(さき)を、疎末(そまつ)にせずして真実(しんじつ)にすれば、十が八つは売先(うりさき)の心に合(かなふ)者なり。

売先の心に合(かなふ)やうに商売に情(せい)を入勤(つとめ)なば、渡世(とせい)に何んぞ案ずることの有べき。且(そのうへ)第一に倹約(けんやく)を守り、是まで一貫目の入用を七百目にて賄(まかなひ)、是迄(まで)一貫目有りし利を九百目あるやうにすべし。

売高(うりだか)拾貫目の内にて利銀百目減少(げんせう)し、九百目取んと思へば、売物が高直(かうぢき)なりと尤(とがめ)らるヽ気遣(きづかひ)なし。無(なき)ゆへに心易し。

且(そのうへ)前に云尺違(ちがひ)の二重の利を取(と)らず、染物屋の染違(そめちがひ)に無理せず、倒(たをれ)たる人とうなづき合て礼銀を受け、負方中間(をヽせかたなかま)の取口(とりくち)を盗(ぬす)まず、算用(さんよう)極(きわ)めの外に無理をせず、奢(をご)りを止め、道具好(ずき)をせず、遊興(ゆうけう)を止(や)め、普請好(ふしんずき)をせず。

斯(かく)のごとき類(たぐひ)尽(ことごとく)慎(つヽしみ)止(やむ)る時は、一貫目設(まうく)る所へ九百目の利を得ても、家は心易(やす)く持るヽ者也。扠(さて)利を百目少(すくな)くとれば、売買の上(うへ)に不義(ふぎ)は有増(あらまし)なき者なり。

譬(たと)へば一升(せう)の水に油(あぶら)一滴(しづく)入る時は、其一升の水一面に油の如くに見ゆ。此(こヽ)を以此(この)水用にたヽず。売買の利も如是(かくのごとし)。百目の不義の金が、九百目の金を皆不義の金にするなり。

百目の不義の金を設(まう)け増(まし)、九百目の金を不義の金となすは、油一滴(しづく)によりて一升の水を捨(すつ)る如くに、子孫の亡(ほろ)び往(ゆく)ことを知らざる者多し。

二重の利や、倒(たをれ)者の礼銀や、払(はらひ)のしかけなどの無理、尽(ことごと)く合(あは)せ聚(あつめ)て見たりとも、それにて世帯(せたい)が持(もた)るヽ者には非ず。此理は万事にわたるべし。

然れども欲心(よくしん)勝(かち)て、百目の所が離(はな)れ難(がた)きゆへに、不義の金を設(まふ)け、可愛(あいすべき)子孫の絶(た)へ亡(ほろぶ)ることを知らざるは、哀(かなし)きことにあらずや。

前(まへ)に云如くに、兎角(とかく)今日の上は、何事も清潔(せいけつ)の鏡(かヾみ)には士(さむらひ)を法とすべし。「孟子曰、恒産(つねのさん)無くして恒心(つねのこヽろ)有る者は、惟(た)だ士(し)のみ能(よ)くするを為す」と。

昔(むかし)鎌倉最明寺殿(かまくらさいみやうじどの)、天下の政(まつりごと)を皆(みな)相摸守殿(さがみのかみどの)へ譲(ゆづ)り玉ひ、諸国(しよこく)を巡(めぐ)り玉ふは、天下の邪正(じやせい)を正(たゞさ)んためなり。これ下の訴(うつたへ)、上へ通(とう)ぜざることを歎(なげ)き玉ふゆへなり。

上(かみ)仁(じん)なれば下(しも)義ならざることなし。此(こヽ)に青砥(あをと)左衛門の尉(ぜう)誠賢(さねかた)、鎌倉(かまくら)に於て訴(うつたへ)を分る時、相摸守殿(さがみのかみどの)家人と公文(くもん)と相論(さうろん)有しが、相摸守殿家人の無理なれども、評定(ひやうじやう)の面々時の権威(けんい)に恐(をそ)れて理非(りひ)を分(わけ)ざる所に、青砥(あをと)是を分明(ふんみやう)に分(わく)る。

此時(このとき)公文(くもん)大に悦(よろこ)び、其夜半(やはん)に鳥目(てうもく)三百貫文、青砥(あをと)が屋鋪(やしき)へ後(うしろ)の山より落(をと)し入れぬ。

青砥是を見て喜(よろこ)びずして、残(のこ)らず反し遣(つかは)して言ふ様(やう)は、「相摸守殿よりこそ褒美(ほうび)をば受(うく)べき所なり。公事(くじ)を分明に分るは、相摸守殿を思ひたてまつるゆへなり。天下の理非正(たヾし)きは、相摸守殿喜び玉ふべき所なり」とぞ言ける。

かくの如き者は士(さむらひ)の中に入べし。才知(さいち)は青砥(あをと)に劣(をと)る人も有るべし。不義の物を受ざるほどの事、青砥に劣(をと)らば士(さむらひ)とは云はれまじ。

こヽを以て見れば、世の人の鏡(かヾみ)と成るべき者は士なり。「子曰、蓋(けだし)之(これ)有らん矣(か)。我未(いまだ)之を見ず」との玉ふ。世界は広(ひろ)きことなれば、鼻(はな)を塞(ふさい)で不義の物を受る士(さむらひ)も有べし。

若(もし)有らば、士(さむらひ)に似(にせ)て刀(かたな)を指(さす)、盗人(ぬすびと)にて有ん。事を頼(たの)む者より賂(まいない)をとるは、壁(かべ)を穿(うがつ)盗人に同じ。青砥が公事(くじ)を分明に分ることは、相摸守殿(さがみのかみどの)を思ひたてまつると云なれば、我身を脩(をさ)め、役(やく)目を正(たゞし)く勉(つと)め、邪(よこしま)なきは、君への忠臣なり。

今治世(ちせい)に何ぞ不忠の士(さむらひ)あらんや。商人も二重の利、密(みつ)々の金を取るは、先祖への不孝不忠なりとしり、心は士(さぶらひ)にも劣(をと)るまじと思ふべし。

商人の道と云とも、何ぞ士農工(しのうこう)の道に替ること有らんや。孟子(まうじ)も、「道は一なり」との玉ふ。士農工商(こうしやう)ともに天の一物なり。天に二つの道有らんや。(巻之二 或(ある)学者商人の学問を譏(そしる)の段)