和俗童子訓
―貝原益軒が著したわが国初の教育論―
江戸中期の児童教育書。五巻。貝原益軒著。宝永7年(1710)刊。
貝原益軒が81才のときに著したものである。「総論」(一巻・二巻)、「随年教法」「読書法」(三巻)、「手習法」(四巻)、「教女子法」(五巻)の五巻から成る。
最後の「教女子法」は後人によって改修され、『女大学』の名で広く普及し、その後の女子教育に多大な影響を与えた。
本書は、わが国初の本格的教育論であるといえる。
聖人は、人の至り、万世の師なり。されば、人は、聖人のをしえなくては、人の道をしりがたし。ここを以て、人となる者は、必ず聖人の道を、学ばずんばあるべからず。
其おしえは、予するを先とす。予すとは、かねてよりといふ意。小児の、いまだ悪にうつらざる先に、かねて、はやくをしゆるを云。
はやくをしえずして、あしき事に染みならひて後は、おしえても、善にうつらず。いましめても、悪をやめがたし。古人は、小児の、はじめてよく食し、よく言時よりはやくおしえしと也。(巻第一 総論上)
小児のともがら、たはぶれ、おほく云べからず。人のいかりををこす。又、人のきらふ事、云べからず、人にいかりそしられて、益なし。世の人、おほくいやしきことをいふとも、それをならひて、いやしき事云べからず。小児のことばいやしきは、ことにききにくし。(巻第二 総論下)
七歳、是より男女、席を同してならび坐せず、食を共にせず。此ころ、小児の少知いでき、云事をきき知るほどならば、其知をはかり、年に宣しきほど、やうやく礼法をおしゆべし。又、和字のよみかきをも、ならはしむべし。(巻第三 随年教法)
凡そ書をよむには、必ず先手を洗ひ、心につつしみ、容を正しくし、几案のほこりを払ひ、書冊を正しく几上におき、ひざまづきてよむべし。
師に、書をよみ習ふ時は、高き几案の上におくべからず。帙の上、或は文匣、矮案の上にのせて、よむべし。必ず、人のふむ席上におくべからず。
書をけがす事なかれ。書をよみおはらば、もとのごとく、覆ひおさむべし。若、急速の事ありてたち去とも、必ずおさむべし。
又、書をなげ、書の上をこゆべからず。書を枕とする事なかれ。書の脳を巻きて、折返へす事なかれ。唾を以て、幅を揚る事なかれ。
故紙に経伝の詞義、聖賢の姓名あらば、つつしみて他事に用ゆべからず。又、君上の御名、父母の姓名ある故紙をもけがすべからず。(巻第三 読書法)
「あいうゑを」五十字は、和音に通ずるに益あり。横縦によみ覚ふべし。かなづかひ、「てには」なども、これを以て、しるべし。「いろは」の益なきにまされり。国字も、皆是にそなはれり。片かなは、をそくをしえ知らしむべし。(巻第四 手習法)
をよそ婦人の、心ざまの悪しき病は、和順ならざると、いかりうらむると、人をそしると、物ねたむと、不智なるとにあり。凡そ此五の病は、婦人に十人に七八は必ずあり。是婦人の男子に及ばざる所也。みづからかへり見、いましめて、あらため去べし。(巻第五 教女子法)