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聖教要録せいきょうようろく
―山鹿素行の儒教理論書―

江戸前期の儒者・兵学者山鹿素行やまがそこう(1622~1685)の著書。三巻。寛文五年(1665)成立。

『山鹿語類』巻33から巻43までの「聖学篇」を抜粋要約したもの。刊行により、本書は幕府から「不届成ふとどきなる書物」とされ、素行は播磨赤穂に配流された。

当時の官学である朱子学を批判、古学の要を説き、「聖人」「道」「理」「徳」「誠」「天地」「性」「心」「道原」など28の重要語句に対して、簡にして要を得た説明がなされている。

聖教要録小序
 聖人はるかに遠く、微言やうやく隠れ、漢唐宋みんの学者、世をひ惑ひをかさぬ。中華既に然り。いはんや本朝をや。先生二千さいの後に勃興し、あとを本朝に垂れ、周公孔子の道をたつとび、初めて聖学の綱領を挙ぐ。

聖教要録上
  聖人
 聖人は知ること至りて心正しく、天地の間つうぜざること無し。其の行やあつくして条理有り、其の応接や従容として礼にあたる。其の国を治め天下を平らかにするや、事物各々其の処を

  知至る
 人は万物の霊長なり。血気有るのたぐひは、人より知なるはし。聖賢は知の至りなり。不肖は知の習なり。知の至るは、物にいたるに在り。

  聖学
 聖学は何のためぞや。人るの道を学ぶなり。聖教は何の為ぞや。人為るの道を教ふるなり。人学ばざれば則ち道を知らず。生質せいしつの美、知識のびんも、道を知らざれば其のへい多し。

  師道
 人は生まれながらにしてこれを知る者にあらず。師に随いて業をく。学は必ず聖人を師とするに在り。世世よよ聖教の師無く、唯だ文字記問の助のみ。

  立教
 人教へざれば道を知らず。道を知らざれば、すなは禽獣きんじうよりも害有り。民人の異端に陥り、邪説を信じ、鬼魅きみたつとび、つひに君をみし父を無みする者は、教化けうくわ行はれざればなり。

  読書
 書は古今の事蹟をするの器なり。読書は余力のす所なり。急務をきて書を読み課を立つるは、学を以て読書に在りと為すなり。

聖教要録中
  中
 中はかたよらずして節にあたるの名なり。知者は過ぎ愚者は及ばざるは、中庸のく行はれざればなり。中庸をくすれば、則ち喜怒哀楽、及び家国天下の用、皆な節にあたる可し。中は天下の大本たいほんなり。

  道
 道は日用ともまさに行ふべき所にして、条理有るの名なり。天めぐり、地せ、人物云為うんゐす。各々其の道有りてたがふ可からず。

  理
 条理有るをれ理とふ。事物の間、必ず条理有り。条理みだるれば、則ち先後せんご本末正しからず。

  徳
 徳は得なり。知至りて内にる所有るなり。これを心にこれを身に行ふを、徳行とふ。

聖教要録下
  性
 理気妙合めうがふして、生生無息のてい有りて、く感通知識する者は性なり。人物の生生、天命ならざる無し。故に曰く、天の命ずるをれ性とふ、と。

  道原
 道の大原たいげんは、天地に出づ。これを知り之をくする者は、聖人なり。聖人の道は、天地の如く、為すこと無きなり。乾坤けんこんは簡易なり。上古の聖人、天地を以てはいと為す。董氏とうし所謂いはゆる太原は、其の語意もつとも軽し。