講孟箚記
―吉田松陰の『孟子』講義録―
幕末の尊王思想家吉田松陰(1830~59)の『孟子』講義録。
獄中内で囚人に対しての『孟子』の講義、および出獄後の郷里での講義を一冊にまとめたもの。
本書は当初『講孟箚記』と名づけられたが、のち松陰自ら『講孟余話』に改題。そののち友人の意見により再び『箚記』に戻された。
道は則ち高し、美し、約なり、近なり。人徒其の高く且つ美しきを見て以て及ぶ可からずと為し、而も其の約にして且つ近、甚だ親しむ可きことを知らざるなり。
富貴貧賤、安楽艱難、千百、前に変ずるも、而も我は之を待つこと一の如く、之に居ること忘れたるが如きは、豈約にして且近なるに非ずや。
然れども天下の人、方且に富貴に淫せられ貧賤に移され、安楽に耽り艱難に苦しみ、以て其の素を失ひて自から抜く能はざらんとす。
宜なるかな、其の道を見て以て高く且美しくして及ぶ可からずと為すや。孟子は聖人の亜、其の道を説くこと著明にして、人をして親しむ可からしむ。
世蓋し読まざるものなし。読みて道を得たる者は或ひは鮮し。何ぞや。富貴貧賤、安楽艱難の累はす所と為りて然るなり。
然れども富貴安楽は順境なり。貧賤艱難は逆境なり。境の順なる者は怠り易く、境の逆なる者は励み易し。怠れば則ち失ひ、励めば則ち得るは、是人の常なり。
吾、罪を獲て獄に下り、吉村五明・河野子忠・富永有隣の三子を得、相共に書を読み道を講じ、往復益々喜ぶ。
曰く「吾と諸君と其の境は逆なり。以て励みて得ること有る可きなり」と。遂に孟子の書を抱きて講究礱磨し、以て其の所謂道なる者を求めんと欲す。
司獄福川氏も亦来り会して「善し」と称す。是に於て悠然として楽しみ、莞全として笑ひ、復圜牆の苦たることを知らざるなり。遂に其の得る所を録し、号して『講孟箚記』と為す。(序)
経書を読むの第一義は、聖賢に阿ねらぬこと要なり。若し少しにても阿ねる所あれば、道明かならず、学ぶとも益なくして害あり。(巻の一)
能はざるに非ざるなり、為さざるなり。一羽を挙げ、輿薪を見、枝を折るの類なり。(巻の一)
先づ一心を正し、人倫の重きを思い、皇国の尊きを思い、夷秋の禍を思い、事に就き類に触れ、相共に切磋講究し、死に至る迄他念なく、片言隻語も是を離るることなくんば、縦令幽囚に死すと雖も、天下後世、必ず吾が志を継ぎ成す者あらん。
是、聖人の志と学となり。其の他の栄辱窮達、毀誉得喪に至りては、命のみ、天のみ、吾が顧みる所に非ざるなり。(巻の一)
即日より思立ちて業を始め藝を試むべし。何ぞ年の早晩を論ぜんや。諺に云はく、「思ひ立つたが吉日」と。(巻の三 上)
一事より二事、三事より百事・千事と、事々類を推して是を行ひ、一日より二日、三日より百日・千日と、日々功を加へて是を積まば、豈遂に心を尽すに至らざらんや。
宜しく先づ一事より一日より始むべし。(巻の四 中)
- 吉田松陰(ウィキペディア)