慎思録
―貝原益軒の教訓書―
六巻。江戸時代の儒学者、貝原益軒(1630~1714)の教訓書。正徳4年(1714)成立。
学問・修養に関する意見を、中国の故事を引用して述べたもの。
人生百歳に満たず。あに放蕩、日を曠しゅうしてこの生を空過することを惜しまざるべけんや。
古人曰く、「天地万古有り。この身ふたたび得ず。人生まれてただ百年。この日最も過ぎ易し。幸いその間に生まるる者は、有生の楽を知らざるべからず。また虚生の憂を懐わざるべからず」と。この言、時に省みるべし。(巻第一)
人を待つこと寛恕にして刻薄ならざれば、すなわち人悦服す。夫子のいわゆる、躬みずから厚くして人を責むるに薄ければ、すなわち怨に遠ざかるとは是れなり。(巻第二)
人の善を作し、不善を作すや、もし人報ゆること能わざれば、すなわち天之に報ゆ。聖人積善の家には、かならず余慶あり、積不善の家には、かならず余殃ありという。聖人のこの言信ずべし。疑うべからず。(巻第二)
君子の娯楽するや、常に閑淡を好む。『中庸』に曰く、「君子の道、淡にして厭わず」。蓋し閑淡を楽しめばすなわち久しくして厭わず。かつ余味あり。鬧濃を楽しめば、すなわち久からずして厭う。また余味なし。いわんや楽しみを好んで荒めば、すなわち楽しみいまだ尽きずして憂いすでに生ずるや。(巻第三)
人好んで矯激の行いをなす者は、名を好むの心勝れたるによるなり。(巻第四)
楽の過ぎる所、すなわち是れ憂いの生ずる所なり。楽は憂いの根となす。憂いの在る所、かえって是れ楽の生ずる所なり。憂いは楽の根となす。是れまた禍福のあい倚伏する理とあい似たり。(巻第五)
衆人は、おうおうその過ちを聞くことを喜ばずして、諫を拒み、過ちを文る。これみずから用うればすなわち小なるの至り、知らざるのはなはだしきなり。(巻第六)
- 貝原益軒(ウィキペディア)