和漢朗詠集
―和歌と漢詩文を集めた歌謡集―
平安中期の歌謡集。二巻。藤原公任撰。長和二年(1013)ごろ成立。
「和漢」とは和歌と漢詩文を指す。古来の和歌・漢詩句の中から朗詠に適する佳作804首を選び、四季・雑に分類したもの。
和歌は紀貫之・凡河内躬恒のものが、漢詩は白居易のものが多い。詩歌詠作の規範として流布し、また書道の手本ともなった。
〔巻上 春 立春〕
吹を逐うて潜かに開く 芳菲の候を待たず
春を迎へて乍ちに変ず 将に雨露の恩を希はむとす(立春の日、内園に花を進る賦)
池の凍の東頭は風度つて解く 窓の梅の北面は雪封じて寒し(篤茂)
年のうちに春はきにけりひとゝせを去年とやいはむ今年とやいはむ(元方)
柳気力なくして条先づ動く 池に波の文ありて氷尽く開けたり(白)
今日知らず誰か計会せし 春の風春の水一時に来る(上に同じ)
夜残更になんなむとして寒磬尽きぬ 春香火に生つて暁炉燃ゆ(良春道)
袖ひぢてむすびし水のこほれるのを春立つけふの風やとくらん(紀貫之)
春立つといふばかりにやみよしのゝ山もかすみてけふはみゆらむ(忠岑)
〔巻上 春 早春〕
氷田地に消えて蘆錐短し 春枝条に入つて柳眼低れり(元)
先づ和風をして消息を報ぜしむ 続いで啼鳥をして来由を説かしむ(白)
〔巻上 春 梅〕
わがせこに見せむと思ひし梅の花それとん見えず雪の降れゝば(赤人)
〔巻上 夏 更衣〕
壁に背ける燈は宿を経たる焔を残せり
箱を開ける衣は年を隔てたる香を帯びたり(白)
生衣は家人を待ちて著むと欲す
宿醸はまさに邑老を招いて酣なるべし(讃州にて作る 菅)
花の色にそめしたもとの惜しければ衣かへうき今日にもあるかな
〔巻上 秋 立秋〕
蕭颯たる涼風と悴鬢と 誰か計会して一時に秋ならしむる(白)
鶏の漸く散ずる間に秋の色少し 鯉の常に趨る処に晩声微かなり(保胤)
秋きぬと目にはさやかにみえねども風のおとにぞおどろかれぬる(敏行)
〔巻上 冬 初冬〕
十月江南天気好し 憐れむべし冬の景の春に似て華しきことを(白)
四時零落して三分減じぬ 万物蹉跎として過半凋めり(醍醐御製)
床の上には巻き収む青竹の簟 匣の中には開き出す白綿の衣(菅)
神無月ふりみふらずみさだめなき時雨ぞ冬の初めなりける
〔巻下 風〕
春の風は暗に庭前の樹を剪る
夜の雨は偸かに石上の苔を穿つ(傅温)
入松乱れ易し 明君が魂を悩まさむとす
流水返らず 列子が乗を送るべし(風中琴の賦 紀)
漢主の手の中に吹いて駐まらず
徐君が墓の上に扇いでなほ懸れり(行葛)
班姫扇を裁して誇尚すべし
列子車を懸けて往還せず(保胤)
秋風の吹くにつけてもとはぬかな荻の葉ならば音はしてまし(中務)
ほのぼのとありあけの月の月かげに紅葉吹きおろす山おろしの風
〔巻下 遊女〕
白浪のよするなぎさによをすぐす海人の子なればやどもさだめず(海人詠)
〔巻下 無常〕
年々歳々花あひ似たり
歳々年々人同じからず(宋之問)
生ある者は必ず滅す 釈尊いまだ栴檀の煙を免かれたまはず
楽しみ尽きて哀しみ来る 天人もなほ五衰の日に逢へり(江)
朝に紅顔あつて世路に誇れども
暮に白骨となつて郊原に朽ちぬ(義孝少将)
秋の月の波の中の影を観ずといへども
いまだ春の花の夢の裏の名を遁れず(江)
世の中をなにゝたとへむ朝ぼらけこぎゆく舟のあとの白浪(沙弥満誓)
手にむすぶ水にやどれる月かげのあるかなきかの世にこそありけれ(貫之)
末の露もとのしづくや世の中のおくれさきだつためしなる覧(良僧正)