本朝文粋
―文学教育用に編纂された漢詩文集―
平安中期の漢詩文集。14巻。藤原明衡撰。康平年間(1058~1065)ごろ成立か。嵯峨天皇から後一条天皇までの約200年間の漢詩文427編を、『文選』の体裁に倣い、賦・雑詩・詔・奏状・表・序・発願文・諷誦文など39項に分類して収める。
書名は宋の姚鉉の『唐文粋』に倣ってつけられたものらしい。主な作者は、大江匡衡・大江朝綱・菅原文時・紀長谷雄・菅原道真・源順・大江以言・兼明親王・都良香・紀斉名など。
子弟の文学教育用に編纂されたもので、その作品は華麗な表現の対句をもつ四六駢儷文が多い。兼明親王の「莵裘賦」や慶滋保胤の「池亭記」のような優れた作品から「男女婚姻賦」「鉄槌伝」のような戯文まで集録されている。
本書が後代文学に与えた影響は大きい。
余亀山の下に、聊かに幽居を卜ひて、官を辞り身を休め、老を此に終へなむと欲ひき。
草堂の漸くに成るに逮びて、執政者に枉げて陥れらる。君昏く臣諛ひて、愬ふるに処無し。
命なる矣天なる也。後代の俗士、必ず吾を罪するに其の宿志を遂げざることを以ちてせむ。
然れども魯の隠兎裘の地を営みて老いなむと欲ひて、公子翬に害はる。春秋の義、其の志を賛け成して、賢君となしき。
後来の君子、若し吾を知る者有らば、これを隠すこと無からむ。因りて賈生が 鳥賦に擬へ、兎裘賦を作りて、自ら広ぐ。(巻第一、賦、兎裘賦)
矧むや夫れ女は其の貞潔を貴び、嫁ぎて其の婚姻を成す。千年の契態を結び、一夜の交親を快くす。暁の露湿ふ時に、楚々の服を潤らし、夜の月幽かなる処に、輝々の身を顕す。
魏柳を黛に占め、燕脂を唇に点す。昔は羅帷に纏りて、骨肉の族に慚づと雖も、今は紗灯に背きて、俄に胡越の人に昵しぶ。是に其の初めを忍び、其の後を親しぶ。
単袴の紐を解きて、更に結ぶことを知らず。白雪の膚を露はして、還りて醜きを厭ふことを忘る。豈に同穴の相好のみならむや、是れ終身の匹偶なり。
則ち知りぬ、形美しければ其の愛深く、感通へば其の身妊むことを。啻に夫妻の配合のみにあらず、宜しく子孫の庇蔭を頼むべし。門に入れば湿あり、淫水出でて褌を汚す。
戸を窺ふに人無し、吟声高くして禁へず。是に知りぬ媚感免れ難きことを、誰れか聖賢に有らむや。(巻第一、賦、男女婚姻賦)
予二十余年以来、東西の二京を歴く見るに、西京は人家漸くに稀らにして、殆に幽墟に幾し。人は去ること有りて来ること無く、屋は壊るること有りて造ること無し。
其の移徙するに処無く、賎貧に憚ること無き者は是れ居り。或は幽隠亡命を楽しび、当に山に入り田に帰るべき者は去らず。自ら財貨を蓄へ、奔営に心有るが若き者は、一日と雖も住むこと得ず。
往年一つの東閣有り。華堂朱戸、竹樹泉石、誠に是れ象外の勝地なり。主人事有りて左転し、屋舎火有りて自らに焼く。其の門客の近地に居る者数十家、相率て去りぬ。
其の後主人帰ると雖も、重ねて修はず。子孫多しと雖も、永く住まはず。荊棘門を鏁し、狐狸穴に安むず。夫れ此の如きは、天の西京を亡すなり、人の罪に非ざること明らかなり。(巻第十二、記、池亭記)
鉄槌、字は藺笠、袴下毛中の人なり。一名磨裸。其の先は鉄脛より出づ。身長七寸、大口にして尖頭、頚下に附贅有り。
少き時に袴下に隠れ処て、公主頻りに召せど起たず。漸くに長大するに及びて、朱門に出仕す。甚だ寵幸せられ、頃之擢でて開国公となす。
性甚だ敏給、能く賦枢を案ふ。夙夜吟翫し、切磨して倦むこと無し。琴絃麥歯の奥、究通せずといふこと無し。人となり勇捍、能く権勢の朱門を破る。天下号けて破勢と曰ふ。(巻第十二、伝、鉄槌伝)