和泉式部日記
―恋愛の経緯を綴った歌物語風日記―
平安時代の日記。一巻。和泉式部の自作説が有力。寛弘四年(1007)ごろ成立。
長保五年(1003)四月から約十か月にわたる帥宮敦道親王との恋愛の経過を、作者自身「女」とし、三人称で物語風に記した日記。二人の愛の物語が百四十余首の贈答歌を中心に叙述されている。別名『和泉式部物語』。
夢よりもはかなき世の中を嘆きわびつゝ明かし暮すほどに、四月十余日にもなりぬれば、木のした暗がりもてゆく。
築地のうへの草青やかなるも、人はことに目もととゞめぬを、あはれとながむるほどに、近き透垣のもとに人のけはひすれば、誰ならんと思ふほどに、故宮に候ひし小舎人童なりけり。
あはれにもののおぼゆるほどに来たれば、「などか久しく見えざりつる。遠ざかる昔のなごりにも思ふを」など言はすれば、「その事と候はでは、馴れ馴れしきさまにやとつゝましう候ふうちに、日ごろは山寺にまかり歩きてなん。いとたよりなくつれづれに思ひたまふらるれば、御代りにも見たてまつらんとてなん帥の宮に参りて候ふ」とかたる。
「いとよきことにこそあなれ。その宮はいとあてにけゝしうおはしますなるは。昔のやうにはえしもあらじ」など言へば、「しかおはしませど、いとけ近くおはしまして、『つねに参るや』と問はせおはしまして、『参り侍り』と申し候ひつれば、『これもて参りて、いかゞ見給ふとて奉らせよ』とのたまはせつる」とて、橘の花を取り出でたれば、「昔の人の」と言はれて、「さらば参りなん。いかゞ聞えさすべき」と言へば、ことばにて聞えさせんもかたはらいたくて、なにかは、あだあだしくもまだ聞え給はぬを、はかなきことをも、と思ひて、
薫る香によそふるよりは時鳥聞かばや同じ声やしたると
と聞えさせたり。まだ端におはしましけるに、この童かくれの方にけしきばみけるけはひを御覧じつけて、「いかに」と問はせ給ふに、御文をさし出でたれば、御覧じて、
同じ枝に鳴きつゝをりし時鳥声はかはらぬものと知らずや
と書ゝせ給ひて、賜ふとて、「かゝる事、ゆめ人に言ふな。すきがましきやうなり」とて入らせ給ひぬ。
もて来たれば、をかしと見れど、つねはとて御返聞えさせず。賜はせそめては、また、
うち出ででもありにしものを中々に苦しきまでも嘆く今日かな
とのたまはせたり。もとも心ふかゝらぬ人にて、慣らはぬつれづれのわりなくおぼゆるに、はかなきことも目とゞまりて、御返、
今日の間の心にかへて思ひやれながめつゝのみ過ぐす心を
かくて、しばしばのたまはする、御返も時々聞えさす。つれづれも少し慰む心地して過ぐす。