方丈記
―仏教的無常観を基底とした隠遁文学―
鎌倉前期の随筆。一巻。鴨長明作。建暦二年(1212)成立。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という流麗な文章で始まる。冒頭から人生の無常を説き、次いで大火・大風・遷都・飢饉・地震の五つの災厄を写実的に描き、最後に日野山の方丈の庵における閑雅で安逸な生活のさまが述べられている。
無常観・厭世思想の立場から世俗を逃れた隠者文学の典型として独自な価値をもつ。文体は対句を多用した和漢混交文。
行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
世の中にある人と栖と、またかくの如し。
玉敷の都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き賤しき人の住ひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或は、去年焼けて、今年造れり。或は、大家亡びて、小家となる。
住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕に生るゝ習ひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰が為にか、心を悩まし、何によりてか、目を喜ばしむる。
その、主と栖と、無常を争ふさま、言はゞ、朝顔の露に異ならず。或は、露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は、花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つことなし。(一)
予、ものの心を知れりしより、四十余りの春秋を送れる間に、世の不思議を見る事、やゝ度々になりぬ。
去んじ安元三年四月廿八日かとよ。風烈しく吹きて、静かならざりし夜、戌の時許り、都の東南より火出で来て、西北に至る。果てには朱雀門、大極殿、大学寮、民部省などまで移りて、一夜のうちに塵灰となりにき。
火元は、樋口富の小路とかや、舞人を宿せる仮屋より出で来たりけるとなん。(二)
また、治承四年卯月のころ、中御門京極のほどより、大きなる辻風起りて、六条わたりまで吹ける事侍りき。
三四町を吹きまくる間に、籠れる家ども、大きなるも、小さきも、一つとして破れざるはなし。さながら平に倒れたるもあり、桁、柱ばかり残れるもあり。門を吹き放ちて、四五町がほかに置き、また、垣を吹き払ひて、隣と一つになせり。(三)
また、治承四年水無月の比、にはかに都遷り待りき。いと思ひの外なりし事なり。
大方、この京のはじめを聞ける事は、嵯峨の天皇の御時、都と定まりにけるより後、すでに四百余歳を経たり。ことなるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを、世の人、安からず憂へあへる、実に、理にも過ぎたり。(四)
また、養和のころとか、久しくなりて覚えず、二年があひだ、世の中飢渇して、あさましき事侍りき。或は春夏ひでり、或は秋、大風、洪水など、よからぬ事どもうち続きて、五穀ことごとくならず。むなしく春かへし、夏植うる営みありて、秋刈り、冬収むるそめきはなし。(五)
また、同じころかとよ、おびたゝしく、大地震ふること侍りき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて、河を埋み、海は傾きて、陸地を浸せり。土裂けて、水湧き出で、巌割れて、谷に転び入る。渚漕ぐ船は、波に漂ひ、道行く馬は、足の立ち所を惑はす。(六)
すべて、世の中のありにくく、わが身と栖とのはかなく、あだなるさま、また、かくの如し。いはんや、所により、身のほどに随ひつつ、心を悩ます事は、あげて計ふべからず。(七)
世に従へば、身苦し。従はねば、狂ぜるに似たり。いづれの所を占めて、いかなる業をしてか、しばしも、この身を宿し、たまゆらも、心を休むべき。(七)
わが身、父方の祖母の家を伝へて、久しく、かの所に住む。その後、縁欠けて身衰へ、しのぶ方々しげかりしかど、つひに、跡留むる事を得ず、三十余りにして、さらに、わが心と、一つの庵を結ぶ。(八)
いま、日野山の奥に跡を隠してのち、東に、三尺余りの庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。
南、竹の簀子を敷き、その西に、閼伽棚を造り、北に寄せて、障子をへだてて、阿弥陀の絵像を安置し、そばに、普賢を懸け、前に、法花経を置けり。
東のきはに、蕨のほとろを敷きて、夜の床とす。西南に、竹の吊棚を構へて、黒き皮籠三合を置けり。
すなはち、和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに、琴、琵琶各々一張を立つ。いはゆる折琴、継琵琶これなり。仮の庵のありやう、かくの如し。(九)
おほかた、この所に住み始めし時は、あらかさまと思ひしかども、今すでに、五年を経たり。仮の庵も、やゝ故郷となりて、軒に朽葉深く、土居に苔むせり。
おのづから、ことの便りに都を聞けば、この山に籠りゐて後、やむごとなき人のかくれ給へるも、あまた聞ゆ。まして、その数ならぬ類、尽くしてこれを知るべからず。度々の炎上に滅びたる家、またいくそばくぞ。たゞ、仮の庵のみ、のどけくして、恐れなし。(十)
それ、三界は、ただ、心ひとつなり。心もし安からずは、象馬、七珍もよしなく、宮殿、楼閣も望みなし。
今、さびしき住まひ、一間の庵、みづからこれを愛す。おのづから、都に出でて、身の、乞匃となれる事を恥づといへども、帰りてこゝに居る時は、他の、俗塵に馳する事をあはれむ。(十一)
そもそも、一期の月影傾きて、余算の、山の端に近し。たちまちに、三途の闇に向はんとす。
何の業をかかこたむとする。仏の教へ給ふ趣は、事にふれて、執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、咎とす。閑寂に著するも、障りなるべし。いかゞ、要なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさむ。(十二)
時に、建暦の二年、弥生の晦日ごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にして、これを記す。(十二)