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好色一代男こうしょくいちだいおとこ
―井原西鶴の浮世草子第一作―

浮世草子。八巻八冊。井原西鶴作。天和二年(1682)大坂荒砥屋から刊行。

主人公世之介よのすけの七歳から六十歳までの五十四年間のさまざまな好色体験を描く。全五十四章。

浮世草子の嚆矢で、その後の小説の展開に強い影響を与えた。

巻一 七歳 けした所が恋はじめ
 桜もちるに歎き。月はかぎりありて。入佐山いるさやま。爰に但馬の国。かねほる里の辺に。浮世の事を外になして。色道しきだうふたつに。てもさめても。夢介と。かえ名よばれて。名古や三左。加賀の八などゝ。七ツ紋のひしにくみして。身は酒にひたし。一条通り。夜ふけて戻り橋。或時は、若衆出立でたち。姿をかえて。墨染の長袖。又は。たて髪かつら。化物が通るとは。誠に是ぞかし。

それも彦七がmojikyo_font_001466して。願くはかみころされてもと。通へば。なを見捨難くて。其比そのころ名高き中にも。かづらき。かほる。三せき。思ひ思ひに、身請みうけして。嵯峨に引込、或は。東山の片陰。又は藤の森。ひそかにすみなして。契りかさなりて。此うちの腹より。むまれて、世之介ト名によぶ。あらはに書しるす迄もなし。しる人はしるぞかし。

巻一 九歳 人には見せぬところ
 つゞみもすぐれて。興なれども。跡より恋の責くればと。そこばかりを。明くれ、うつ程に。後には親の耳にも。かしかましく。俄にやめさて。世をわたる男芸とて。両替町に春日屋とて。母かたの所縁ゆかりあり。此もとへ、かね見習ふためとて。つかはしをきけるに。はや、しに一ばい、三百目の借り手形、いかに欲の世中よのなかなればとて。かす人もおとなげなし。

其比そのころ九才の。五月四日の事ぞかし。あやめふきかさぬる。軒のつま、見越の柳しげりて。木下闇の夕間くれ。みぎりにしのべ竹の人除に。笹屋島の帷子かたびら。女の隠し道具を。かけ捨ながら、菖蒲湯を。かゝるよしして。中居ぐらいの女房。我より外には。松の声。もしきかば。壁に耳。みる人はあらしと。ながれはすねの。あとをもはぢぬ。へそのあたりの。あかかき流し。なをそれよりそこらも。糠袋にみだれて。かきわたる湯玉。油ぎりてなん。

世乃介、四阿屋あづまやの。棟にさし懸り。ちんの遠眼鏡を取持て。かの女を偸間あからさまに見やりて。わけなき事どもを。見とがめ。ゐるこそおかし。

与風ふと、女の目にかゝれば。いとはづかしく。声をもたてず。手を合て拝めども。なをmojikyo_font_001466しかめ。指さして笑へば。たまりかねて。そこそこにして。塗下駄をはきもあへず。あがれば。袖垣のまばらなるかたより。女をよび懸。初夜のかねなりて。人しづまつて後。これなるきり戸をあけて。我がおもふ事をきけとあれば。おもひよらすと答ふ。それならば今の事を。おほくの女共に。沙汰せんといはれける。何をか見付られける、おかし。

巻二 十五歳 髪きりても捨られぬ世
 いたづらは。やめられぬ世の中に。後家ごけ程心に。したがふものはなきと。或人の語りぬ。馴染に別れての当座は。自害、出家にも成べき事、やすかり。程経りて後夫を求るも、なきならひにはあらず。

忘れ念記かたみ。たくはえに。欲といふ物ありて。うきながら。跡立るも。身をおもふ故ぞかし。蔵のかぎに。性根をうつし。めしあはせの戸に。くろゝをおとし。用心時の自身番にも。人頼みするこそあれ。いつとなく。前栽は落葉にうづみ。軒もふき時を忘れ。雨のもる夜。神鳴かみなりのなる時は。ちかよりて。あたままで隠せし事。こはき夢見ては。申申と起せしなど。今おもへば独身ひとりみはと悲しく。仏の道にこゝろざし。紋所の着物も、うとみはてゝ。世をわたる種とて。元来、あきなひのとくい。殊更にあしらい。手つから、十露盤そろばんをかんがえ。かねみる利発も。女はらちのあき難き事もありて。よろつ、手代にまかすれば。いつとなく。我になつて。様といふ、尻声しりこゑもなく。大形は機嫌とりて。むやくしき事も。程すきて。こゝちよき下主げす共のはなしより。与風ふと、こゝろ取乱して。若きものなどゝ、名の立こそおかし。

巻三 二十四歳 一夜の枕物ぐるひ
 内証は。挑灯てうちん程な火がふつて。大晦日の空おそろしく。万懸帳かけちやうらち明ず屋の世之介と。しかられながら。留守つかはせて。二階にしのび。くゞり戸のなるたび。胸をおさえ。耳をふさぎ。今の悲しさ。命ながらへたらば。末の世がたりにもなりなん。

扇は扇は。おゑびす。若ゑびす若ゑびすと。売声うるこゑに。すこし春のこゝちして。日のはしめ。静に。ゆたかに。世に有人あるひとの門は。松みどりなして。物もふもふ。手鞠つけば。羽子板の絵も。夫婦子あるを。うらやみ。化想文よむ女。男めづらかに思はるゝ。暦のよみ初。姫はじめ、おかし。人のこゝろも。うき立、きのふの事を忘れ。けふもくれぬ。

巻五 卅五歳 後には様付てよぶ
 都をば花なき里になしにけり。吉野は死手しでの山にうつしてと。或人のよめり。なき跡まで、名を残せし太夫。前代未聞の遊女也。いづれをひとつ。あしきと申べき所なし。なさけ第一深し。ここに、七条通に。駿河守するがのかみ金綱きんつなと申。小刀鍛冶の弟子。吉野を見そめて。人しれぬ、我恋の関守は。宵宵ことの仕事に打て。五十三日に五十三本。五三のあたいをためて。いつぞの時節を待ども。魯般ろはんが雲のよすがもなく。袖の時雨は神かけて。是ばかりはいつはりなし。

巻八 六十歳 床のせめ道具
 合弐万五千貫目。母親より。ずいぶんつかへと譲られける。明暮たはけを尽し。それから今まで。二十七年になりぬ。まことに広き世界の遊女町。残らずなかめめぐりて。身はいつとなく。恋にやつれ。ふつと浮世に。今といふ今。こゝろのこらず。親はなし。子はなし。さだまる妻女もなし。

つらつらおもん見るに。いつまで。色道しきだうの中有に迷ひ。火宅の内の。やけとまる事をしらず。すでにはや。くる年は。本卦にかへる。ほどふりて。足弱車の音も。耳にうとく。桑の木の杖なくては。たよりなく。次第に。おかしうなる物かな。

おればかりにもあらず。見及びし女の。かしらに霜を戴き。額にはせはしき。浪のうちよせ。心腹の立ぬ日もなし。

傘さし懸て。肩くまにのせたる娘も。はや男の気に入。世帯姿となりぬ。うつれば、替つた事も。何か此うへには有べし。今まで願へる種もなく。しんだら、鬼が喰ふまでと。俄にひるがへしても。有難き道には入難し。