好色一代女
―ある女の愛欲の生涯を描いた浮世草子―
浮世草子。六巻六冊。井原西鶴作。貞享三年(1686)刊。
一人の女の十三歳から六十五歳までの愛欲の生涯を描いた二十四章の物語。
公卿の娘として宮仕えした主人公が不義をして主家を追われた後、貧しい家を救うために、大名の側室や遊女となり、ついに私娼にまで転落してゆく生涯を描く。
巻一 老女のかくれ家
美女は命を断斧と古人もいへり。心の花散ゆふべの焼木となれるは何れか是をのがれし。
されども時節の外なる朝の嵐とは、色道におぼれ若死の人こそ愚なれ。その種はつきもせず。
人の日のはじめ、都のにし嵯峨に行く事ありしに、春も今ぞと花の口びるうごく梅津川を渡りし時、怜当世男の采体しどけなく、色青ざめて恋に貌をせめられ、行末頼みすくなく、追付親に跡やるべき人の願ひ、「我れ万の事に何の不足もなかりき。この川の流れのごとく契水絶へずもあらまほしき」といへば、友とせし人驚き、「我は又、女のなき国もがな。其所に行きて閑居を極め、惜しき身をながらへ、移り替れる世のさまざまを見る事も」といふ。
この二人生死各別のおもはく違ひ、人命短長の間、今に見果ぬ夢に歩み、現に言葉をかはすがごとく、邪気乱つのつて縹り行かれし道は、一筋の岸根づたひに、防風莇など萌出るを用捨もなく踏分、里離なる北の山陰に入られしに、何とやらゆかしく、その跡をしたひしに、女松村立萩の枯垣まばらに、笹の編戸に犬のくゞり道のあらけなく、それより奥に自然の岩の洞静に、片びさしをおろして、軒はしのぶ草、すぎにし秋の蔦の葉残れり。
東の柳がもとに筧音なして、まかせ水の清げに、爰に住なせるあるじはいかなる御法師ぞと見しに、思ひの外なる女の臈闌て三輪組、髪は霜を抓つて、眼は入かたの月影かすかに、天色のむかし小袖に八重菊の鹿子紋をちらし、大内菱の中幅帯前にむすびて、今でもこの靚粧さりとては醜からず。寝間とおもふなげしのうへに瀑板の額掛けて、好色庵としるせり。いつ焼捨のすがりまでも聞き伝へし初音これなるべし。
巻二 世間寺大黒
脇ふさぎを又明けて、むかしの姿にかへるは、女鉄拐といはれしは、小作りなるうまれつきの徳なり。
折ふし仏法の昼も人を忍ばす、お寺小性といふ者こそあれ。我れ恥かしくも若衆髪に中剃して、男の声遣ひならひ、身振りも大かたに見て覚へ、下帯かくも似る物かな、上帯もつねの細きにかへて、刀脇指腰さだめかね、羽織編笠もこゝろおかしく、作り髭の奴に草履もたすなど、物に馴れたる太鞁持をつれ、世間寺のうとく成を聞出し、庭桜見る気色に塀重門に入りければ、太鞁方丈に行きて、隙なる長老に何か小語、客殿へよばれて彼の男引きあはすは、「こなたは御牢人衆なるが、御奉公済ざるうちは、折ふし気慰めに御入りあるべし。万事頼あげる」などいへば、住持はや現になつて、「夜前、あなた方入ひで叶はぬ子下風薬を、去る人に習ふて参つた」といふて、跡にて口ふさぐもおかし。
後は酒に乱れ、勝手より醒き風もかよひ、一夜づゝの情代金子弐歩に定め置き、諸山の八宗、この一宗をすゝめまはりしに、いづれの出家も珠数切ざるはなし。
巻六 皆思謂の五百羅漢
万木眠れる山となつて桜の梢も雪の夕暮とはなりぬ。是は明ぼのゝ春待つ時節もあるぞかし。
人斗年をかさねて何の楽しみなかりき。殊更我が身のうへ、さりとてはむかしを思ふに恥かし。
せめては後の世の願ひこそ真言なれと、又もや都にかへり、爰ぞ目前の浄土大雲寺に参詣、殊勝さも今、仏名の折ふし、我もとなへて本堂を下向して、見わたしに五百羅漢の堂ありしに、これを立ち覗けば、もろもろの仏達いづれの細工のけづりなせる、さまざまにその形の替りける。
これ程多き中なれば、必おもひ当る人のある物ぞと語り伝へし。
さもあるべきと気をつけて見しに、すぎにしころ我れ女ざかりに枕ならべし男に、まざまざと生き移しなる面影あり。
気を留めて見しに、あれは遊女の時、又もなく申しかはし、手首に隠しぼくろせし長者町の吉さまに似て、すぎにし事を思ひやれば、又岩の片陰に座して居給ふ人は、上京に腰元奉公せし時の旦那殿にそのまゝ。
これには色々の情あつて忘れがたし。あちらを見れば、一たび世帯持し男、五兵衛殿に鼻高い所迄違はず。
是は真言のありし年月の契一しほなつかし。こちらを詠めけるに、横太りたる男、片肌ぬぎして浅黄の衣姿、誰やらさまにとおもひ出せば、それよそれよ江戸に勤めし時、月に六さいの忍び男、糀町の団平にまがふ所なし。
なを奥の岩組の上に色のしろい仏、その美男これもおもひ当たりしは、四条の川原もの、さる芸子あがりの人なりしが、茶屋に勤めし折から女房はじめに我れに掛かり、さまざま所作をつくされ、間もなくたゝまれ、灯挑の消ゆるがごとく、廿四にて鳥辺野にをくりしが、おとがいほそり、目は落入り、それにうたがふべくはなし。
又上髭ありて赤みはしり、天窓はきんかなる人有り。これは大黒になりてさいなまれし寺の長老さまに、あの髭なくば取り違ゆべし。
なんぼの調謔にも身をなれしが、この御坊に昼夜かされて、らうさいかたぎに成りけるが、人間にはかぎりあり、そのつよ蔵さまも煙とはなり給ひし。
又枯木の下に小才覚らしきつきをして、出額のかしらを自剃して居る所、物いはぬ斗、足手もさながら動くがごとし。是も見る程思ひし御かたに似てこそあれ。
我れ哥比丘尼せし時、日毎に逢ふ人替はりし中に、ある西国の蔵屋敷衆、身も捨て給ふ程御なづみ深かりき。何事もかなしき事嬉しき事わすれじ。人の惜しむ物を給はりて、お寮の手前を勤めける。