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南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん
―滝沢馬琴の長編傑作―

江戸時代の読本よみほん。九十八巻百六冊。滝沢馬琴たきざわばきん作。文化十一年(1814)から天保十三年(1842)刊。

室町末期、安房あわ結城ゆうき城で敗戦した里見義実よしざねの娘伏姫ふせひめと、妖犬八房やつふさと不思議な因縁で結ばれた八人の勇士が活躍する長編伝奇小説。八人は仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の徳をそれぞれそなえ、活躍して里見家を再興する。

勧善懲悪を基調としている。略称『里見八犬伝』『八犬伝』。

 浩處かゝるところに年のよはひ八十やそぢあまりの翁一人、眉には八字の霜をおき、腰にはあづさの弓を張り、鳩の杖にすがりつゝ、みち眞中まなかいこひてをり。

もとより潛行しのびのたびなれば、從者等ともびとらは先を得追えおはず。そのとき翁は目を放さで、伏姫ふせひめ熟々つらつらて、「これは里見の姫君ならずや。

石窟いはむろの歸さならば、翁が加持してまゐらせん」と呼びかけられて從者等ともびとらは、驚きあはてゝ見かへれば、げにの翁が爲體ていたらく凡人たゞびとにはあらざりけり。

なまじひじつを告ずは、しかりなん、と思ひしかば、老黨ろうだう老女は翁にむかひて、ことおもむきすこしも隱さず、云云しかじかつげにければ、翁しばしば點頭うなづきて、「まことりやうたゝりあり。これこの子の不幸なり。

はらふにかたきことはあらねど、禍福くわふくあざなへるなはの如し。たとへば一個ひとりの子を失うて、後にあまたたすけを得ば、そのわざはひは禍ならず。損益のみちみな然り。

よろこぶべからず、哀しむべからず。罷りかへらばこのよしを、義實よしさね夫婦につげよかし。これまゐらせん、護身まもりにせよ。思ひ合はすることあるべし」と誇貌ほこりがに説き示し、仁義じんぎ禮智れいち忠信ちうしん孝悌こうていの八字をりなしたる、水晶の珠數ずゞ一連いちれんを、ふところより取り出して、ひらりと姫の衣領えりにかくれば、老黨ろうだう老女はあわて惑ひて、諸共にぬかをつき、「りやうとは何のたゝりやらん。委細つばらきて後々まで、はらしづめて給ひね」と云へば翁はうち微笑ほゝえみ、「ようは徳に勝ことなし。よし惡靈あくりやうありといふとも、里見の家はますます榮ん。

みつるときは必ずく。又何をかはらふべき。これを委細つばらに示すときは、天機を漏らすのおそれあり。伏姫といふ名によりて、みづからさとらばさとり得なん。

さはれ今日けふよりこのの子が、くことはむべきぞ。く疾く行きね。我れは早や、まかる也」と云ひかけて、洲崎すさきの方へかへると思へば、走ること飛ぶが如く、かたちは見えずなりにけり。(第八回)

護身刀まもりがたなを引き抜て、腹へぐさと突き立てゝ、眞一文字まいちもんじき切り給へば、怪しむべし瘡口きずぐちより、一朶いちだ白氣はくきひらめき出て、襟に掛けさせ給ひたる、の水晶の珠數ずゞを包みて、虚空なかそらのぼると見えし、珠數ずゞ忽地たちまちふつ斷離ちぎれて、その一百いつびやくは連ねしまゝに、地上へからりと落ちとゞまり、空にのこれる八つのたまは、粲然として光明ひかりを放ち、飛びめぐり入りみだれて、赫奕かくやくたる光影ありさまは、流るゝ星に異ならず。

主從しゅうじゅうは今更に、姫の自殺をとゞめあへず、我れにもあらで蒼天あをぞらを、うち仰ぎつゝ目も黒白あやに、あれよあれよ、と見る程に、おとし來る山おろしの風のまにまに八つの靈光ひかりは、八方に散り失せて、跡は東の山のに、夕月ゆふつきのみぞさし昇る。

まさに是れ數年の後、八犬士出現して、遂に里見の家に集合つどふ、萌芽きざしをこゝに開くなるべし。

かくても姫は深痍ふかでに屈せず、飛去る靈光ひかり目送みおくりて、「よろこばしや我が腹に、物がましきはなかりけり。神の結びし腹帶も、疑ひもやゝけたれば、心に懸かる雲もなし。

浮世の月を見殘して、いそぐは西のそらにこそ。導き給へ彌陀佛」ととなへもあへず、手もつかも、鮮血ちしほまみるゝ刃を抜き捨て、そがまゝはたと伏し給ふ。こゝろ言葉も女子をなごには、似げなき迄にたくましき、最期はことに哀れなり。(第十三回)