雨月物語
―我が国怪異小説の最高傑作―
江戸中期の読本。五巻。上田秋成作。安永五年(1776)刊。
日本・中国の古典・伝説に取材した「白峰」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の婬」「青頭巾」「貧福論」の九つの短編から成る。
中国小説の翻案が多い。
怪異小説集の傑作であり、初期読本の代表作。
巻一 白峯
あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々。
むらさき艶ふ武蔵野の原、塩竃の和たる朝げしき、象潟の蜑が笘や、佐野の舟梁、木曽の桟橋、心のとゞまらぬかたぞなきに、なほ西の国の歌枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葭がちる難波を経て、須磨明石の浦ふく風を身にしめつも、行く行く讃岐の真尾坂の林といふにしばらく笻を植む。
草枕はるけき旅路の労にもあらで、観念修行の便せし庵なりけり。
巻一 菊花の約
青々たる春の柳、家園に種ることなかれ。交りは軽薄の人と結ぶことなかれ。
楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐めや。軽薄の人は交りやすくしてまた速なり。楊柳いくたび春に染れども、軽薄の人は絶て訪ふ日なし。
播磨の国加古の駅に丈部左門といふ博士あり。清貧を憩ひて、友とする書の外はすべて調度の絮煩を厭ふ。
老母あり、孟子の操にゆづらず。常に紡績を事として左門がこゝろざしを助く。
その季女なるものは同じ里の佐用氏に養はる。この佐用が家は頗富さかえて有りけるが、丈部母子の賢きを慕ひ、娘子を娶りて親族となり、屡事に托て物を餉るといへども、「口腹の為に人を累さんや」とて、敢て承ることなし。
巻二 浅茅が宿
下総の国葛餝郡真間の郷に、勝四郎といふ男ありけり。祖父より旧しくこゝに住み、田畠あまた主づきて家豊に暮しけるが、生長て物にかゝはらぬ性より、農作をうたてき物に厭ひけるまゝに、はた家貧しくなりにけり。
さるほどに親族おほくにも疎じられけるを、朽をしきことに思ひしみて、いかにもして家を興しなんものをと左右にはかりける。
そのころ雀部の曽次といふ人、足利染の絹を交易するために、年々京よりくだりけるが、この郷に氏族のありけるを屡来訪らひしかば、かねてより親しかりけるまゝに、商人となりて京にまうのぼらんことを頼みしに、雀部いとやすく肯がひて、「いつの比はまかるべし」と聞えける。
他がたのもしきをよろこびて、残る田をも販つくして金に代、絹素あまた買積て、京にゆく日をもよほしける。
巻二 夢応の鯉魚
むかし延長の頃、三井寺に興義といふ僧ありけり。絵に巧なるをもて名を世にゆるされけり。
嘗に画く所、仏像山水花鳥を事とせず。寺務の間ある日は湖に小船をうかべて、網引釣する泉郎に銭を与へ、獲たる魚をもとの江に放ちて、其の魚の遊躍を見ては画きけるほどに、年を経て細妙にいたりけり。
或ときは絵に心を凝して眠をさそへば、ゆめの裏に江に入りて、大小の魚とともに遊ぶ。
覚れば即見つるまゝを画きて壁に貼し、みづから呼びて夢応の鯉魚と名付けけり。
其の絵の妙なるを感て乞要むるもの前後をあらそへば、ただ花鳥山水は乞にまかせてあたへ、鯉魚の絵はあながちに惜みて、人毎に戯れていふ。
「生を殺し鮮を喰ふ凡俗の人に、法師の養ふ魚必ずしも与へず」となん。其の絵と俳諧とゝもに天下に聞えけり。
巻三 仏法僧
うらやすの国ひさしく、民作業をたのしむあまりに、春は花の下に息らひ、秋は錦の林を尋ね、しらぬ火の筑紫路もしらではと械まくらする人の、富士筑波の嶺々を心にしむるぞそゞろなるかな。
伊勢の相可といふ郷に、拝志氏の人、世をはやく嗣に譲り、忌こともなく頭おろして、名を夢然とあらため従来身に病さへなくて、彼此の旅寝を老のたのしみとする。
季子作之治なるものが生長の頑ななるをうれひて、京の人見するとて、一月あまり二条の別業に逗まりて、三月の末吉野の奥の花を見て、知れる寺院に七日ばかりかたらひ、此のついでに「いまだ高野山を見ず。いざ」とて、夏のはじめ青葉の茂みをわけつゝ、天の川といふより踰て、摩尼の御山にいたる。
巻三 吉備津の釜
「妬婦の養ひがたきも、老ての後其の功を知る」と、咨これ何人の語ぞや。
害ひの甚しからぬも商工を妨げ物を破りて、垣の隣の口をふせぎがたく、害ひの大なるにおよびては、家を失ひ国をほろぼして、天が下に笑ひを伝ふ。
いにしへより此の毒にあたる人幾許といふ事をしらず。死て蟒となり、或は霹靂を震ふて怨を報ふ類は、其の肉を醢にするとも飽べからず。
さるためしは希なり。夫のおのれをよく脩めて、教へなば、此の患おのづから避べきものを、只かりそめなる徒ことに、女の慳しき性を募らしめて、其の身の憂をもとむるにぞありける。
「禽を制するは気にあり。婦を制するは其の夫の雄々しきにあり」といふは、現にさることぞかし。
巻四 蛇性の婬
いつの時代なりけん、紀の国三輪が崎に、大宅の竹助といふ人在りけり。此の人海の幸ありて、海郎どもあまた養ひ、鰭の広物狭き物を尽してすなどり、家豊に暮しける。
男子二人、女子一人をもてり。太郎は質朴にてよく生産を治む。二郎の女子は大和の人のつまどひに迎られて、彼所にゆく。
三郎の豊雄なるものあり。生長優しく、常に都風たる事をのみ好みて、過活心なかりけり。
父是を憂つゝ思ふは、「家財をわかちたりとも即人の物となさん。さりとて他の家を嗣しめんもはたうたてき事聞くらんが病しき。只なすまゝに生し立て、博士にもなれかし、法師にもなれかし、命の極は太郎が羈物にてあらせん」とて、強て掟をもせざりけり。
此の豊雄、新宮の神奴安倍の弓麿を師として行き通ひける。
巻五 青頭巾
むかし快庵禅師といふ大徳の聖おはしましけり。総角より教外の旨をあきらめ給ひて、常に身を雲水にまかせたまふ。
美濃の国の竜泰寺に一夏を満しめ、此の秋は奥羽のかたに住むとて、旅立ち給ふ。ゆきゆきて下野の国に入り給ふ。
富田といふ里にて日入りはてぬれば、大きなる家の賑はゝしげなるに立ちよりて一宿をもとめ給ふに、田畑よりかへる男等、黄昏にこの僧の立てるを見て、大きに怕れたるさまして、
「山の鬼こそ来りたれ。人みな出でよ」
と呼びのゝじる。家の内にも騒ぎたち、女童は泣きさけび展転びて隈々に竄る。
あるじ山枴をとりて走り出で、外の方を見るに、年紀五旬にちかき老僧の、頭に紺染の巾を帔き、身に墨衣の破たるを穿て、裹たる物を背におひたるが、杖をもてさしまねき、
「檀越なに事にてかばかり備へ給ふや。遍参の僧今夜ばかりの宿をかり奉らんとてこゝに人を待ちしに、おもひきやかく異しめられんとは。痩法師の強盗などなすべきにもあらぬを、なあやしみ給ひそ」といふ。
荘主枴を捨てて手を拍て笑ひ、
「渠等が愚なる眼より客僧を驚しまいらせぬ。一宿を供養して罪を贖ひたてまつらん」
と、礼まひて奥の方に迎へ、こゝろよく食をもすゝめて饗しけり。
巻五 貧福論
陸奥の国蒲生氏郷の家に、岡左内といふ武士あり。禄おもく、誉たかく、丈夫の名を関の東に震ふ。
此の士いと偏固なる事あり。富貴をねがふ心常の武扁にひとしからず。倹約を宗として家の掟をせしほどに、年を畳て富み昌へけり。
かつ軍を調練す間には、茶味翫香を娯しまず、庁上なる所に許多の金を布班べて、心を和さむる事、世の人の月花にあそぶに勝れり。
人みな左内が行跡をあやしみて、吝嗇野情の人なりとて、爪はぢきをして悪みけり。
家に久しき男に黄金一枚かくし持ちたるものあるを聞きつけて、ちかく召ていふ。
「崑山の璧もみだれたる世には瓦礫にひとし。かゝる世にうまれて弓矢とらん軀には、棠谿墨陽の剣、さてはありたきもの財宝なり。
されど良剣なりとて千人の敵には逆ふべからず。金の徳は天が下の人をも従へつべし。武士たるもの漫にあつかふべからず。かならず貯へ蔵むべきなり。
儞賤しき身の分限に過ぎたる財を得たるは嗚呼の事なり。賞なくばあらじ」
とて、十両の金を給ひ、刀をも赦して召つかひけり。
人これを伝へ聞きて、
「左内が金をあつむるは長啄にして飽ざる類にはあらず。只当世の一奇士なり」とぞいひはやしける。