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今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう
―平安末期成立の厖大な説話集―

今昔物語集
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説話集。三十一巻(うち巻八、十八、二十一は欠)。撰者未詳。十二世紀前半の成立。

内外の文献の翻案を含む千余りの説話を集大成した説話集で、天竺てんじく震旦しんたん・本朝の三部からなり、全世界的な規模をもつ。わが国最大の古説話集。

文体は片仮名双記の宣命体的表記による一種の和漢混交文。書名は、説話が「今は昔」で始まることに由来する。『今昔物語』とも。別名『宇治大納言物語』。

近代に入って、芥川龍之介がその説話を素材に『羅生門』 『芋粥』などの小説を書き、そのころからようやく文学的価値が注目されるようになった。

 今は昔、釈迦如来、いまだ仏に成り給はざりける時は、釈迦菩薩と申して兜率天とそつてんの内院と云ふ所にぞ住み給ひける。しかるに閻浮提えんぶだい下生げしやうしなむと思しける時に、五衰ごすいを現はし給ふ。

 その五衰と云ふは、一つには、天人は目瞬めまじろくことなきに目瞬めまじろく。二つには、天人のかしらの上の花鬘けまんしぼむことなきにしぼみぬ。

三つには、天人の衣には塵居ちりゐることなきに塵・あかを受けつ。四つには、天人はあせあゆることなきにわきの下より汗いできぬ。

五つには、天人は我がもとの座を替へざるに本の座を求めずして当たる所に居ぬ。

 その時に、もろもろの天人、菩薩この相をあらはし給ふ見て、あやしびて菩薩に申して云はく、「我等、今日この相をあらはし給ふを見て、身動き心迷ふ。願はくは、我等がためにこの故をべ給へ」と。

 菩薩、諸天に答へてのたまはく、「まさに知るべし、もろもろのぎやうはみな常ならずと云ふことを。我、今、久しからずして此のあめの宮を捨て閻浮提えんぶだいに生まれなむとす」と。

 これを聞きて、もろもろの天人歎くこと愚かならず。かくて菩薩、閻浮提えんぶだいの中に生まれむに、誰をか父とし、誰をか母とせむとおぼして見給ふに、迦毗羅衛国かびらゑこく浄飯王じやうぼんわうを父とし摩耶まや夫人ぶにんを母とせむに足れり、と思ひ定め給ひつ。

 癸丑みづのとうしの歳の七月八日、摩耶夫人のはらに宿り給ふ。夫人、夜寝給ひたる夢に、菩薩、六牙の白象に乗りて、虚空の中より来たりて、夫人の右の脇より身の中に入り給ひぬ。

あらはに透きとほりて瑠璃の壺の中に物を入れたるがごとくなり。(巻第一 釈迦如来、人界にんがいに宿り給へること 第一)

 人みな静まりて、この人も寝ぬるなめりと思ふほどに、この立てはてざりつる遣戸やりどを開けて、やわ抜足ぬきあしに寄りて、傍らにすに、女よく寝入りにければ、つゆ知らず。

 近く寄りたる香ばしさ、えも言はず。驚かして云はむと思ふに、極めてわびし。ただ仏を念じ奉りて、きぬを引き開けてふところに入るに、この人驚きて、「こはそ」と云へば、「しかしかなり」と云ふに、女の云はく、「貴き人と思ひてこそ宿し奉れ。かくおはしければ悔しくこそ」と。

僧、近づかむとするといへども、女、衣を見にまとひて馴れむつぶることなし。

 しかる間、僧、辛苦悩乱すること限りなし。しかれども、人の聞かむことを恥づるによりて、あながちにふるまはず。

 女の云はく、「我れ、汝が云はむことに従はじとにはあらず。我が夫なりし人、いにし年の春失せにしかば、その後は云はする人あまたあれども、指せることなからむ人をば見じと思ひて、かくやもめにて居たるなり。

それに、なかなか、かやうなる僧なむどのあるを、貴ぶやうにてはありなむ。さればいなび申すべきにはあらねども、法華経を空には読み給ふや。こゑは貴しや。さらば、経を貴ぶぞと、人には見しめでむつび聞こえむと、いかに」と。

 僧の云はく、「法華経は習ひ奉りたりといへども、空にはいまだ浮かべず」と。

 女の云はく、「それは、浮かべ得むことの難きか」と。

 僧の云はく、「いかでか浮かべ得奉らざらむ。しかるに、我が身ながらも、遊び戯れに心を入れて、浮かべざるなり」と。

 女の云はく、「速やかに山に返りて、経を浮かべて来給へ。その時に忍びて、本意の如くむつび聞こえむ」と。

 僧これを聞きて、せちにおぼえつることも止みて、夜もやうや曙方あけがたに成りぬれば、「さは」とてひそかに出でぬ。

あしたに物など食はしめて出だしつかはしつ。(巻第十七 比叡ひえの山の僧、虚空蔵こくぞうの助けに依りてさとりを得たること 第三十三)