伊曾保物語
―『イソップ物語』を翻訳した仮名草子―
仮名草子。欧米で広く親しまれている『イソップ物語』の翻訳であるが、訳者不詳。
『イソップ』の口語訳ローマ字本は文禄二年(1593)に“Esopo no Fabulas”と題して天草のキリシタン学寮から出版され、訳者は日本人イルマンのハビアンであったという。
本書はこれとは別系統、天草版には70話、本書には64話があるが、共通の話は25話で、それも内容文章に差がある。
本書は広く読まれ、慶長~寛永年間(1596~1644)に刊行の古活字版9種と万治二年(1659)刊の挿絵入りの整版2種および写本がある。
後の教訓物仮名草子に大きな影響を与えた。
上巻第二 荷物を持つ事
ある時、シャント、旅行に赴かせ給ふに、下人どもに荷物を宛ておこなふ。
われもわれもと軽き荷物を争ひ取つて、これを持つ。
こゝに食物を入れたる物ありけり。その重きに恐れて、これを持つ物なし。
「さらば」とて、イソポ辞するに及ばず、「何事も、殿の御奉公ならば」とて、これを持つ。
その日の重荷、「イソポに過ぎたる者なし」と、皆人いひけり。
日数経て行くほどに、この食物をつねに用ゆ。故に、日に添へて軽くなりけり。
果てには、いと軽き荷物持ちけり。「あつぱれ、賢き心宛てかな」とて、猜み給ふ人々ありけり。
中巻第十三 犬、肉の事
ある犬、肉を咥へて川を渡る。まん中にて、その影、水に映りて大きに見えければ、「我が咥ゆる所の肉より大きなる」と心得て、これを捨てて、かれを取らんとす。
故に、二つながらこれを失ふ。
そのごとく、重欲心の輩は、他の宝を羨み、事にふれて貪るほどに、たちまち天罰を蒙る。我が持つ所の宝をも、失う事あり。
中巻第十八 京と田舎の鼠の事
ある時、都の鼠、片田舎に下り侍りける。田舎の鼠ども、これをいつきかしづく事かぎりなし。これによつて田舎の鼠を召し具して上洛す。
しかもその住所は、都の有徳者の蔵にてなん有りける。故に、食物足つて乏しき事なし。
都の鼠申しけるは、「上方には、かくなんいみじき事のみおはすれば、いやしき田舎に住み習ひて、何にかはし給ふべき」など、語り慰む所に、家主、蔵に用の事ありて、俄に戸を開く。
京の鼠は、もとより案内者なれば、穴に逃げ入ぬ。田舎の鼠は、もとより無案内なれば、慌て騒げども隠れ所もなく、からうじて命ばかり、助かりける。
その後、田舎の鼠、参会して、この由を語るやう、「御辺は、『都にいみじき事のみある』と宣へども、たゞ今の気遣ひ、一夜白髪といひ伝ふるべく候。田舎にては、事足らはぬことも侍れども、かゝる気遣ひなし」となん、申しける。
その如く、賤しき者は、上つ方の人に伴ふ事なかれ。もし、強ゐてこれを伴ふ時は、いたづがはしき事のみにあらず、たちまち禍ひ出で来るべし。
「貧を楽しむ者は、万事かへつて満足す」と見えたり。かるがゆへに、ことわざに云く、「貧楽」とこそ、いひ侍りき。
下巻第十八 男、二女を持つ事
ある男、二人、妻を持ちけり。ひとりは年長け、一人は若し。
ある時、この男、老ひたる女のもとに行く時、その女申しけるは、「我、『年長け齢衰へて、若き男に語らふ』などと、人の嘲るべきも、恥づかしければ、御辺の鬢鬚、黒きを抜いて、白髪ばかりを残すべし」とて、たちまち黒を抜いて、白きを残せり。
この男、「あな憂し」と思へども、恩愛にほだされて、痛きをもかへりみず、抜かれにけり。
又、ある時、若き女のもとに行きけるに、この女申しけるは、「我、盛んなる者の身として、御辺のやうに白髪とならせ給ふ人を、妻と語らひけるに、『世に男なきか』なんどと、人の笑はんも恥づかしければ、御辺の鬢鬚の白きを抜かん」と云いて、これをことごとく抜き捨つる。
されば、この男、あなたに候へば抜かれ、こなたにては抜かれて、あげくには、鬢鬚なふてぞゐたりける。
そのごとく、君子たらん者、故なき淫乱に汚れなば、たちまち、かゝる恥を請くべし。しかのみならず、二人の機嫌を計ふは、苦しみつねに深きものなり。
かるがゆへに、ことわざに云く、「二人の君に仕へがたし」とや。