宇治拾遺物語
―「舌切り雀」「こぶ取り爺」などを含む説話集―
鎌倉初期の説話集。十五巻。編者未詳。建保年間(1213~19)ごろの成立か。
仏教説話、貴族説話、「舌切り雀」「こぶ取り爺」「わらしべ長者」といった民話、滑稽譚などの197話を収める。
その内容には鋭い人間批評や風刺、皮肉がきいている。『今昔物語集』など他の説話集との共通説話も多いが、当時の説話集の中では最も流布し、後代文学にも大きな影響を及ぼした。文体は当時の口語を含む和文。
これも今はむかし、人のもとに、ゆゝしくことごとしく、をひをの、ほら貝腰につけ、錫杖つきなどしたる山臥の、ことごとしげなる入来て、侍の立蔀の内の小庭に立けるを、侍、「あれはいかなる御房ぞ」と問ひければ、「これは日比白山に侍つるが、みたけへ参りて、いま二千日候はんと仕候つるが、斉料つきて侍り。まかりあづからんと申あげ給へ」といひて立てり。
みれば、額まゆの間の程に、髪際によりて二寸ばかり疵あり。いまだ、なまいえにて、あかみたり。
侍問ていふやう、「その額の疵はいかなる事ぞ」と問ふ。山臥、いとたうとうとしく、こゑをなしていふやう、「これは随求陀羅尼をこめたるぞ」とこたふ。
侍の者ども、「ゆゝしきことにこそ侍れ。足手の指などきりたるは、あまた見ゆれども、額破りて陀羅尼こめたるこそ、見るともおぼえね」と、いひあひたるほどに、十七八ばかりなる小侍の、ふと走りいでて、うち見て、「あな、かたはらいたの法師や。なむでう随求陀羅尼をこめんずるぞ。あれは七条まちに、江冠者が家の、おほ東にある鋳物師が妻を、みそかみそかに入ふし入ふしせし程に、去年の夏入ふしたりけるに、男の鋳物師かへりあひたりければ、とる物もとりあへず、逃て西へ走りしが、冠者が家のまへ程にて、追ひつめられて、さひづゑして額をうち破れたりしぞかし。冠者も見しは」といふを、『あさまし』と人どもきゝて、山臥が顔を見れば、すこしも事と思たる気色もせず、すこしのまのししたるやうにて、「そのついでにこめたるぞ」と、つれなういひたる時に、あつまれる人ども、一度に、「は」と笑ひたるまぎれに、逃ていにけり。(巻一の五 随求陀羅尼額に籠むる法師の事)
昔、多武嶺に、增賀上人とて、貴き聖おはしけり。きはめて心武う、きびしくおはしけり。ひとへに名利をいとひて、頗物ぐるはしくなん、わざと振舞給けり。
三条大后宮、尼にならせ給はんとて、戒師のために、召しにつかはされければ、「もとも貴き事なり、增賀こそは誠になし奉らめ」とて参りけり。
弟子共『此御使をいかつて、打ち給ひなどやせんずらん』と思ふに、思ひのほかに、心安く参り給へば、有がたき事に思ひあへり。
かくて宮に参りたるよし申ければ、悦て、召し入れ給ひて、尼になり給ふに、上達部、僧どもおほく参り集まり、内裏より御使など参りたるに、この上人は、目はおそろしげなるが、体も貴げながら、わづらはしげになんおはしける。
さて、御前に召いれて、御几帳のもとに参て、出家の作法して、めでたく長き御髪をかき出して、この上人にはさませらる。御簾中に女房達見て、泣くことかぎりなし。
はさみはてて、出なんとするとき、上人、高声にいふやう、「增賀をしも、あながちに召すは何事ぞ。心得られ候はず。もしきたなき物を大なりときこしめしたるか。人のよりは大きに候へども、今は練絹のやうに、くたくたと成たるものを」といふに、御簾のうち近く候女房達、ほかには公卿、殿上人、僧たち、これを聞くにあさましく、目口はだかりておぼゆ。
宮の御心地もさらなり。貴さもみな失せて、おのおの身より汗あえて、我にもあらぬ心地す。
さて上人まかり出なんとて、袖かきあはせて、「年まかりよりて、風重く成て、今はたゞ痢病のみ仕れば、参るまじく候つるを、わざと召し候つれば、あひ構て候つる。堪がたくなりて候へば、いそぎまかり出候なり」とて、いでざまに、西対の簀子についゐて、尻をかゝげて、はんざふの口より水をいだすやうに、ひりちらす。
音高く、臰事かぎりなし。御前まで聞ゆ。わかき殿上人、わらひのゝしることおびたゝし。僧たちは、「かゝる物ぐるひを召したる事」と、そしり申けり。
かやうに、事にふれて、物ぐるひに態と振舞ひけれど、それにつけても、貴きおぼえは彌まさりけり。(巻十二の七 增賀上人三条宮に参り振舞の事)