伊勢物語
―我が国最初の歌物語―
平安時代の歌物語。作者不明。
在原業平とおぼしき主人公に、百二十五の小話がその一代記を構成し、それぞれが和歌を中心に語られる小編の物語集。
それぞれの冒頭が「昔、男……」で始まる。各時代を通じて愛読され、後代文学への影響も著しい。別名『在五が物語』、『在五中将日記』(「在五」は在原氏の五男業平のこと)。略称『勢語』。
昔、男初冠して、平城の京春日の里に、しるよしして、狩にいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。
この男かいまみてけり。おもほえずふるさとにいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。
男の着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。その男、しのぶ摺の狩衣をなむ着たりける。
春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれかぎり知られず
となむおひつきていひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。
みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑにみだれそめにし我ならなくに
といふ歌の心ばへなり。昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける。(一)
昔、男片田舎にすみけり。男宮づかへしにとて、別れ惜しみてゆきけるまゝに、三年来ざりければ、待ちわびたりけるに、いとねむごろにいひける人に今宵あはむとちぎりたりけるに、この男来たりけり。
「この戸あけたまへ」とたゝきけれど、あけで歌をなむよみて出したりける。
あらたまの年の三年を待ちわびてたゞ今宵こそ新枕すれ
といひいだしたりければ、
梓弓ま弓槻弓年をへてわがせしがごとうるはしみせよ
といひて去なむとしければ、女、
梓弓引けど引かねど昔より心は君によりにしものを
といひけれど、男かへりにけり。女いとかなしくて、しりにたちておひゆけど、えおひつかで清水のある所に伏しにけり。そこなりける岩におよびの血して書きつけける、
あひ思はで離れぬる人をとゞめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる
と書きて、そこにいたづらになりにけり。(二十四)
- 伊勢物語(ウィキペディア)