修養
―新渡戸稲造の青少年向け啓蒙書―
新渡戸稲造(1862~1933)著。明治44(1899)年9月、実業之日本社刊。
著者の体験談を織り交ぜた、平易な青少年向け啓蒙書である。
文中に和歌や道歌、『菜根譚』などが多く引用されているのも特色である。
目次
総説
第一章 青年の特性
第二章 青年の立志
第三章 職業の選択
第四章 決心の継続
第五章 勇気の修養
第六章 克己の工夫
第七章 名誉に対する心懸
第八章 貯蓄
第九章 余が実験せる読書法
第十章 逆境にある時の心得
第十一章 順境にある時の心得
第十二章 世渡りの標準
第十三章 道
第十四章 黙思
第十五章 暑中の修養
第十六章 暑中休暇後の修養
第十七章 迎年の準備
二、順境の人の警戒すべき危険
一、順境の人は傲慢になりやすい
人が順境に立つ時は、すなわち順境の誘惑が出で来る。これがために、自分は逆境であるぞと覚悟していた時よりも、かえって不幸に陥ることがままある。しかして、僕は少なくも五個の危険が、順境の背後に潜んでいると思う。
順境に立つ人は、ややもすれば傲慢となる。いわゆる得意の人となりやすい。人に褒められると、今までは、それほどにも思わなかった者も、妙にのぼせ上がる。人が自分のことを、学者学者というと、自分も真に偉い学者であるかのごとく思い、人が才子であると称すれば、自分も才子であるかと思う気になる。
しかして、これは単に自分を偉いと思うだけにとどまらぬ。ひいて他人を見下し、したがってものを言うにも、高慢気となり、他人の欠点をさがすのを、何とも思わなくなる。人に対して無礼の振る舞いを意とせぬが、人が少しでも、無礼をすると、大いにその威厳を傷つけられたかのごとく思う。
かかる例は、世間にたくさんある。ほとんど毎日、この例を目撃せぬことはない。しかして、その変化の急激なことは、全く別人を見るがごとき思いをする。昨日まで困窮して、卑屈の態度を持していた者が、今朝一片の辞令書を受け取ると、その瞬間から、都大路を狭しと横行闊歩する者もある。その変化のはげしい態度を見ると、こんないやなものは世間に少ないと思う。
少し油断すると、役人などにこんな者が多い。近頃は、だんだんに減少するようであるが、しかし、それでも役人、ことに小役人には、こんな型の人がすこぶる多い。もっとも、これは決して役人に限った弊害でない。いかなる職業にある人でも、少し持てて来かけると、たいていこの傲慢心が萌しやすいものである。度量の小さい者は、小さいのに反比例して、逆上の度が高いようである。(第十一章 順境にある時の心得)