>   近現代   >   西国立志編

西国さいこく立志編りっしへん
―『学問のすすめ』と並ぶ明治の二大啓蒙書―

啓蒙書。十一冊。中村正直まさなお(1832~1891)訳。サミュエル・スマイルズ(1812~1904)著『自助論(Self Help)』の翻訳。明治三年(1870)刊。

「天は自ら助くるものを助く」という信念を思想的根幹とした教訓とその実例とされる歴史上の人物三百数人の成功立志談を説く。

福沢諭吉の『学問のすすめ』と並ぶ明治の二大啓蒙書であり、発行部数は総計100万部を下らないという大ベストセラーである。

第一編 邦国ほうこくおよび人民のみずから助くることを論ず

 一 みずから助くるの精神

「天はみずから助くるものを助く」(Heaven helps those who help themselvees.)といえることわざは、確然かくぜん経験したる格言なり。わずかに一句の中に、あまねく人事成敗の実験を包蔵せり。

みずから助くということは、よく自主自立して、他人の力によらざることなり。みずから助くるの精神は、およそ人たるものの才智の由りて生ずるところの根元なり。

推してこれを言えば、みずから助くる人民多ければ、その邦国必ず元気充実し、精神強盛なることなり。他人より助けを受けて成就せるものは、その後、必ず衰うることあり。

 しかるに、内みずから助けてなすところのことは、必ず生長してふせぐべからざるの勢いあり。けだしわれもし他人のために助けを多くなさんには、必ずその人をして自己励み勉むるの心を減ぜしむることなり。

このゆえに師傅しふ(かしずく人)の過厳なるものは、その子弟の自立の志を妨ぐることにして、政法の群下を圧抑あつよくするものは、人民をして扶助を失い、勢力に乏しからしむることなり。

第二編 新機器を発明創造する人を論ず

 一 英国の人民、職事に勉強すること

 英国の人民、その風習性格、種々著しきものある中に、職業に勉強する精神あることその一なり。

史冊にするもの、肩をならべ、今世においても、いにしえに譲ることなし。英国版図はんと内の工業昌盛にして、貨財生殖するその根元基礎は、国人にこの勉強の精神あるによりて、建立せらるることなり。

 英国の勢力、日に長ずることは、主として、人民に自主の権ありて、またよく勉強するの効験なり。

けだし土地を耕す人、有用の物貨を生ずる人、機器を創造する人、書籍を著す人など、あるいは手をもって、あるいは心をもって、勉強労苦するもの、いにしえより今に至るまで積累せきるいして、偶然にかくのごとく国家の勢力をして盛大ならしめたり。

つこの勉強する精神は、ひとり邦国の生命の根源なるのみならず、昔より、しだいにわが国の律法の紕繆ひびゆう(誤り)を改正し、国政の欠漏けつろうを補完することも、またこれにれることなり。

第四編 勤勉して心を用うること、および恒久に耐えて業をなすことを論ず

 一 大功業は、平常なる工夫によりて得らるべし

 絶大の事業を成すには、奇術妙法あるにあらず、また大才睿智えいちを要せず、平常なる工夫によりて得らるべく、また平凡なる資質の人にてなし得らるることなり。

いかにとなれば、善く心を用うれば、目前通常のこと、みな善き経験となり、これよりして、大いに開悟発明の益を得ることあるものなり。

また敗績はいせきを取りたることは、真成の勉強の人のためには、勇猛精進の力を発出し、みずからその身を修むるゆえんの具となることなり。

人の平安に日をわたることは、歩々ほほ地を踏みて、善く適当してことを行うによりて、得らるることなり。人の極めてよく久しきに耐え、および極めてよく真正の志気あるものは、極大の功績を奏するなり。

第六編 芸業を勉修する人を論ず

 一 天才ありといえども、必ず勉強の力を要す

 およそ芸業を修めて極妙極善に至るものは、特にあまたの辛苦勉強によりて得らるることなり。丹青(絵)の妙手、彫像の名工、一ぴつとうといえども、むなしく施さず。

これによりてしだいに精神をますこと、あるいは才思さいしにもよるべけれども、畢竟ひつきよう(つまり)、学習の功を積めるものなり。

 レーノルズ曰く、「だれにても絵事かいじ(絵画)に長ぜんと欲する者は、その心をことごとくここに注ぎ、晨起しんきより夜臥やがに至るまで、絶えて他念あるべからず。これ絵画のみにあらず、他の芸業においても、また然り。また一芸に卓絶せんと志すものは、学ぶことを欲する時と欲せざる時とを論ぜず、朝に昼に夜に、常に工夫を用うべし。遊戯せずして、ひとえに辛苦学習すべし」といえり。

けだし才は天より受くれども、これを成全するは、自修の功によることなれば、天才をたのまずして人力を尽くすべきなり。

第七編 貴爵の家をはじめたる人を論ず

 一 いにしえ尊貴そんきの族、今は多く平民に混ずること

 およそ人の血統、ことごとくみな往古おうこよりその源を発出せしなり。あるいはその譜系ふけい伝わらず、祖父より以前、知るべからずといえども、そのせん追溯ついそすれば、始祖アダムとイヴより流れでざるものなし。

けだし、もと人に定まりたる貴賤尊卑の種別なし。ゆえに権勢ある家、時に衰微し、卑賤の人、時に顕達す。新者は旧に代わり、故家こかは平民の中に埋沈す。

バークの著せる『ヴィシチュードス・オブ・ファミリーズ』(『門族の変換』)を観る時は、人生盛衰の常ならず升沈しようちんの時ならざるに感ずべく、また富貴の人の災禍さいかを受くること、貧賤の人よりはなはだしきを知るべし。

 昔、英王ジョン、暴虐はなはだしきによりて、バロン二十五人相議あいぎして、英王を限制する法、いわゆるマグナ・カルタの約法を定めしその後裔こうえい、今、貴爵の家に一人も存するものなし。

けだし内乱相継ぎ、その家みな亡滅して衆庶しゆうしよが中に汨没こつぼつせしなり。 されば、ブーン、モーティマー、プランタジネットのごときは、いにしえ有名の貴族なれども、今世卑賤の人にて、これらの姓を蒙るものあり。これその苗胤びよういんなり。

 英王エドワード六世の子なりしアール・オブ・ケントの遠裔にして、今屠者となるものあり、税吏となるものあり。サイモン・モンフォールの遠裔なりとて、今トゥーリー街に鞍匠あんしようとなるものあり。

オリヴァー・クロムウェルの曾孫そうそんは、スノウ・ヒルに任して雑貨を売れり。かくのごとき類、その他枚挙にいとまあらず。

人世じんせい栄貴利達の、浮寄ふきにしてたのむに足らざること、ここにおいて見るべし。