おらが春
―小林一茶晩年の句文集―
俳文俳諧集。一冊。小林一茶著。嘉永五年(1852)刊。
一茶五十七歳の文政二年(1819)の元旦から歳末まで、一年間の随想・見聞などを長女さとの死を中心に発句を交えて日記風に記している。
二十一の章段からなる。晩年の円熟境を示す一茶の代表作。
普甲寺上人の話
昔、たんごの国普甲寺といふ所に深く浄土をねがふ上人ありけり。
としの始は世間祝ひごとしてさゞめけば、我もせんとて、大卅日の夜、ひとりつかふ小法師に手紙したゝめ渡して、翌の暁にしかじかせよと、きといひをしへて、本堂へとまりにやりぬ。
小法師は元日の旦、いまだ隅み隅みは小闇きに、初烏の声とおなじく、がばと起て、教へのごとく表門を丁々と敲けば、内より「いづこより」と問ふ時、「西方弥陀仏より年始の使僧に候」と答ふるよりはやく、上人裸足にておどり出で、門の扉を左右へさつと開て、小法師を上坐に請じて、きのふの手紙をとりてうやうやしくいただきて読ていはく、「其世界は衆苦充満に候間、はやく吾国に来たるべし。聖衆出むかひしてまち入候」と、よみ終りて、「おゝおゝ」と泣れけるとかや。
此上人、みづから工み拵へたる悲しみに、みづからなげきつゝ、初春の浄衣を絞りて、したゝる涙を見て祝ふとは、物に狂ふさまながら、俗人に対して無常を演ルを礼とすると聞からに、仏門においては、いはひの骨張なるべけれ。
それとはいさゝか替りて、おのれらは俗塵に埋れて世渡る境界ながら、鶴亀にたぐへての祝尽しも、厄払ひの口上めきてそらぞらしく思ふからに、から風の吹けばとぶ屑家はくづ屋のあるべきやうに、門松立てず、煤はかず、雪の山路の曲り形りに、ことしの春もあなた任せになんむかへける。
目出度さもちう位也おらが春 一茶
露の世
楽しみ極りて愁ひ起るは、うき世のならひなれど、いまだたのしびも半ならざる千代の小松の、二葉ばかりの笑ひ盛りなる緑り子を、寝耳に水のおし来るごとき、あらあらしき痘の神に見込れつゝ、今、水濃のさなかなれば、やをら咲ける初花の泥雨にしほれたるに等しく、側に見る目さへ、くるしげにぞありける。
是も二三日経たれば、痘はかせぐちにて、雪解の峡土のほろほろ落るやうに、瘡蓋といふもの取れば、祝ひはやして、さん俵法師といふを作りて、笹湯浴せる真似かたして、神は送り出したれど、益々よはりて、きのふよりけふは頼みすくなく、終に六月廿一日の蕣の花と共に、此世をしぼみぬ。
母は死顔にすがりて、よゝよゝと泣もむべなるかな。この期に及んでは、行水のふたゝび帰らず、散花の梢にもどらぬくひごとなどゝ、あきらめ顔しても、思ひ切がたきは恩愛のきづな也けり。
露の世は露の世ながらさりながら 一茶
あなた任せ
他力信心他力信心と、一向に他力にちからを入て、頼み込み候輩は、つひに他力縄に縛れて、自力地獄の炎の中へ、ぼたんとおち入候。
其次に、かゝるきたなき土凡夫を、うつくしき黄金の膚になしてくだされと、阿弥陀仏に、おし誂へに、誂ばなしにしておいて、はや五体は仏染み成りたるやうに悪るすましなるも、自力の張本人たるべく候。
問ていはく、いか様に心得たらんには、御流義に叶ひ侍りなん。答ていはく、別に小むづかしき子細は不存候。
たゞ自力他力、何のかのいふ芥もくたを、さらりとちくらが沖へ流して、さて後生の一大事は、其身を如来の御前に投出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからひ次第、あそばされくださりませと、御頼み申ばかり也。
如斯決定しての上には、「なむあみだ仏」といふ口の下より、欲の網をはるの野に、手長蜘の行ひして、人の目を霞め、世渡る雁のかりそめにも、我田へ水を引く盗み心を、ゆめゆめ持べからず。
しかる時は、あながち作り声して念仏申に不及。ねがはずとも仏は守り給ふべし。
是則、当流の安心とは申也。穴かしこ。
ともかくもあなた任せのとしの暮 一茶