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独楽吟どくらくぎん
―「たのしみは……」ではじまる橘曙覧たちばなのあけみの歌―

幕末の歌人・国学者、橘曙覧たちばなのあけみ(1812~1868)の連作短歌。全52首。

橘曙覧は文化9年(1812)、福井城下の商家に生まれた。2歳で母と死別、母の実家で養育された。15歳で父を失う。

21歳のとき奈於(直子)と結婚。後に家業を異母弟に譲り、隠棲生活に入る。本居宣長に私淑し、その弟子で飛騨高山の国学者、田中大秀おおひでに入門している。福井藩主松平春嶽や重臣中根雪江らと親交を深めた。

『独楽吟』は元治元年(1864)、53歳ころの作品。極貧ながらも、日常の些細な出来事に楽しみを求め、その喜びを感動的に詠み上げている。明治になってからは正岡子規に絶賛され、斎藤茂吉などにも多大な影響を与えた。

平成6年(1994)6月13日、クリントン米大統領が、天皇・皇后両陛下の訪米歓迎式典において『独楽吟』のなかの一首、「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を引用、再び注目されるようになった。

たのしみはくさのいほりのむしろきひとりこころをしづめをるとき

たのしみはめづらしきふみひとにかりはじひとひらひろげたるとき

たのしみはかみをひろげてとるふでおもひのほかくかけしとき

たのしみは妻子めこむつまじくうちつどひかしらならべてものをくふとき

たのしみはそらあたたかにうちれし春秋はるあきでありくとき

たのしみはあさおきいでて昨日きのふまでかりしはなけるとき

たのしみはつねなれぬとりのきとほからぬきしとき

たのしみはあき米櫃こめびつこめいでき今一月いまひとつきはよしといふとき

たのしみは物識人ものしりびとまれにあひていにしへいまかたりあふとき

たのしみはまれにうお児等こらみながうましうましといひてとき

たのしみはそぞろみゆくふみうちわれとひとしきひとをみしとき

たのしみはふみよみめるをりしもあれこゑひとかどたたくとき

たのしみはぜになくなりてわびをるにひとたりてぜにくれしとき

たのしみは昼寝ひるねざむるまくらべにことこととえてあるとき

たのしみははたおりたててあたらしきころもをひてするとき

たのしみは三人みたりどもすくすくとおおきくなれる姿すがたみるとき

たのしみは小豆あづきいひえたるを茶漬ちゃづけてふものになしてくふとき

たのしみはふでをえてみづにひたしねぶりてこころみるとき

たのしみはにはにうゑたる春秋はるあきはなのさかりにあへる時時ときどき

たのしみはかずあるふみからくしてうつしへつつとぢてるとき

たのしみはふとてほしくおもふものからくはかりてにいれしとき