大鏡
―藤原氏全盛期の歴史物語―
歴史物語。三巻または八巻。作者未詳。平安後期に成立。
文徳天皇の嘉祥三年(850)から後一条天皇の万寿二年(1025)に至る14代176年間の歴史を、藤原道長の栄華を中心に、仮名文の紀伝体で描いた歴史物語。
二人の老人が自分たちの見聞を人々に語り、若侍が聞き役・批判役となって加わる形式が採られている。
「四鏡」中の最高傑作。「世継」「世継の翁の物語」とも。
さいつ頃、雲林院の菩提講にまゐりてはべりしかば、例の人よりはこよなう年老ひ、うたてげなる翁二人おうなと行きあひて、同じ所にゐぬめり。あはれに同じやうなるもののさまかなと見はべりしに、これらうち笑ひ見かはしていふやう、 「年ごろ、昔の人に対面して、いかで世の中の見聞くことどもを聞えあはせむ、このただいまの入道殿下の御有様をも申しあはせばやと思ふに、あはれに嬉しくもあひ申したるかな。今ぞ心やすく黄泉路もまかるべき。思しきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心ちしける。
かかればこそ、昔の人は、物言はまほしくなれば、穴を掘りては言ひ入れはべりけめと、おぼえはべり。返す返す嬉しく対面したるかな。さてもいくつにかなりたまひぬる」(序)
この大臣、これ東三条の大臣の御一男なり。御母は女院の御同じ腹なり。関白になり栄えさせたまひて、六年ばかりやおはしましけむ、大疫癘の年こそうせさせたまへれ。されど、その御やまひにてあらで、御酒の乱れさせたまひにしなり。をのこは上戸、ひとつの興の事にすれど、過ぎぬるはいと不便なるをりはべり。(内大臣道隆)
この大臣は、法興院のおとどの御五男、御母従四位〈上〉摂津守右京大夫藤原中正朝臣の女なり。その朝臣は従二位中納言山蔭卿の七男なり。この道長の大臣は、今の入道殿下これにおはします。 かく世間の光にておはします殿の、一年ばかり、物をやすからず思し召したりしよ。いかに天道御覧じけむ。さりながらも、いささか逼気し、御心やは倒させたまへりし。おほやけざまの公事、作法ばかりには、あるべき程にふるまひ、時違ふことなく勤めさせたまひて、うちうちには、所もおききこえさせたまはざりしぞかし。(太政大臣道長)