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神皇正統記じんのうしょうとうき
―南朝の正統性を主張した北畠親房の歴史書―

南北朝時代の歴史書。六巻(また二巻、三巻など)。北畠きたばたけ親房ちかふさ著。延元四年(1339)成立。興国四年(1343)修訂。

神代から後村上ごむらかみ天皇即位までの歴史を描いている。なかでも後醍醐天皇についての記述が一番多い。

神武じんむ天皇以来皇位が正しい理に従って継承し来ったという皇位継承論と、南朝こそが正統だとする南朝正統論が論述されている。

後代の歴史書である『大日本史』『読史余論』『日本外史』などに大きな影響を与えた。

 大日本おほやまと神國かみのくに也。天祖あまつみおやハジメテもとゐヲヒラキ、日神ひのかみナガクとうつたへ給フ。わが國ノミ此事アリ。異朝いてうニハ其タグヒナシ。此故ニ神國かみのくにいふ也。

 神代かみよニハ豐葦原千五百秋瑞穗トヨアシハラノチイホノあきノミヅホノ國ト云。天地開闢てんちかいびやくはじめヨリ此アリ。天祖あまつみおや國常くにのとこ立尊たちのみとこ陽神陰神をがみめがみニサヅケ給シみことのりニキコエタリ。天照太神あまてらすおほみかみ天孫あめみまノ尊ニゆづりマシマシシニモ、此名アレバ根本こんぼんナリトハシリヌベシ。(序論)

 人皇にんわう第一代、神日本磐余彦天皇すめらみことまをす。後ニ神武じんむトナヅケタテマツル。地神ちじん鸕鷀草葺不合ノ尊ノ第四ノ子。御母玉依姫、海神うみのかみ小童わたつみの第二のむすめ也。伊弉諾尊ニハ六世、大日孁おほひるめノ尊ニハ五世ノ天孫ニマシマス。神日本磐余彦ト申ハ神代ヨリノヤマトコトバナリ。神武ハ中古トナリテ、モロコシノことばニヨリテサダメタテマツル御名也。又此御代ヨリ代ゴトニ宮所みやどころヲウツサレシカバ、其ところヲ名ヅケテ御名トス。此天皇ヲバ 橿原かしはらノ宮ト申、是也。(神武天皇)

 第二代、綏靖すゐぜい天皇は〈コレヨリ和語わごノ尊號ヲバノセズ〉神武じんむ第二の御子。御母鞴五十鈴姫タタライスズヒメ事代主コトシロヌシノ神ノ女也。父ノ天皇カクレマシテ、ミトセアリテ即位シ給。庚辰かのえたつの年也。大和葛城高岡やまとのかづらきのたかをかノ宮ニマシマス。(綏靖天皇)

 第三代、安寧あんねい天皇ハ綏靖すゐぜい第二ノ子。御母五十鈴依姫いすずよりひめ事代主ことしろぬしノ神ノヲトむすめ也。癸丑みづのとうしノ年即位。大和やまと片鹽カタシホ浮穴うきアナノ宮ニマシマス。
 天下ヲ治給コト三十八年。五十七歳ヲマシマシキ。(安寧天皇)

 第四十五代、聖武しやうむ天皇ハ文武ノ太子。御母皇太夫人くわうたいぶにん藤原ノ宮子みやこ淡海公不比等たんかいこうふひとノ大臣ノ女也。豐櫻彦とよさくらひこノ尊トまをす。ヲサナクマシシニヨリテ、元明・元正マヅ位ニヰ給キ。

甲子きのえねの年即位、改元。平城宮ニマシマス。此御代おほきニ佛法ヲアガメ給コト先代せんだいニコエタリ。東大寺ヲ建立シ、金銅こんどう十六ぢやうほとけヲツクラル。

又諸國ニ國分寺こくぶんじおよび國分尼寺こくぶんにじテ、國土安穩こくどあんをんノタメニ法華ほつけ最勝さいしよう兩部りやうぶきやうヲ講ゼラル。

又オホクノ高僧他國ヨリ來朝らいてうス。南天竺なんてんぢく波羅門僧正ばらもんそうじやう菩提ぼだいいふ〉、林邑りんヲウ佛哲ぶつテチ、唐ノ鑒眞和尚がんジンわじやうこれ也。

眞言しんごん祖師そしちゆう天竺ノ善無畏ゼンムイ三藏さんざう來給きたりたまヘリシガ、密機みつきイマダ熟セズトテカヘリたまひニケリトモイヘリ。此國ニモ行基ぎやうぎ菩薩・朗辨僧正らうべんそうじやうナド權化ごんげの人也。天皇・波羅門僧正・行基・朗辨ヲバ四聖ししやうトゾ申つたへタル。

 此御時太宰少貳だざいのせうに藤原廣繼ひろつぐト云人〈式部卿しきぶきやう宇合うまかひノ子ナリ〉謀叛むほんノキコエアリ、追討セラル〈玄昉げんばう僧正ノざんニヨレリトモイヘリ。よりてりやうトナル。今ノ松浦まつらノ明神也云々〉。祈祷きたうノタメニ天平十二年十月かんなづき伊勢ノ神宮ニ行幸アリキ。

左大臣さだいじん長屋王ながやのわう〈太政大臣高市王たけちのわうノ子、天武ノ御孫ナリ〉ツミアリテちゆうセラル。又陸奧みちのおくの國ヨリ始テ黄金わうごんヲタテマツル。此朝ニこがねアル始ナリ。國ノつかさわう、賞アリテ三位ニじよス。佛法繁昌はんじやう感應かんおうナリトゾ。

 天下ヲ治給コト二十五年。天位ヲ御女高野タカノ姫ノ皇女ニユヅリテ太上天皇ト申ス。後ニ出家セサセ給。天皇出家ノはじめ也。昔天武、東宮ノ位ヲノガレテ御グシオロシ給ヘリシカド、ソレハシバラクノ事ナリキ。皇后光明子くわうみやうしモオナジク出家セサセ給。此天皇五十六歳オマシマシキ。(聖武天皇)

 第九十五代、第四十九世、後醍醐ごだいご天皇。諱ハ尊治たかはる、後宇多第二ノ御子。御母談天門院だんてんもんゐん、藤原忠子ただこ、内大臣師繼もろつぐノ女、まこと入道にふだう參議忠継女ただつぐのむすめナリ。御祖父龜山ノ上皇ヤシナヒ申給キ。

 弘安こうあんニ、時ウツリテ龜山・後宇多世ヲシロシメサズナリニシヲ、タビタビ關東ニおほせ給シカバ、天命ノことわりカタジケナクオソレ思ケレバニヤ、にはかニ立太子ノ沙汰アリシニ、龜山ハコノ君ヲスヘ奉ラントオボシメシテ、八幡宮ニ告文かうもんヲオサメ給シカド、いち御子みこサシタルユヘナクテステラレガタキ御コトナリケレバ、後二條ゾヰ給ヘリシ。サレド後宇多ノ御心ザシモアサカラズ。

御元服アリテ村上ノためしニヨリ、太宰帥だざいのそつニテ節會せちゑナドニいでサセ給キ。後ニ中務なかつかさの卿ヲけんセサセ給。後二條世ヲハヤクシマシマシテ、父ノ上皇ナゲカセ給シ中ニモ、ヨロヅコノ君ニゾ委附ゐふシ申サセ給ケル。

ヤガテ儲君ちよくんノサダメアリシニ、後二條ノいちノミコ邦良くによしの親王ヰ給ベキカトキコエシニ、オボシメスユヘアリトテ、此親王ヲ太子ニタテ給。

「カノいちノミコオサナクマシマセバ、御子みこノ儀ニテつたへサセ給ベシ。モシ邦良親王早世ノ御コトアラバ、コノ御スエ繼體タルベシ。」トゾシルシヲカセマシマシケル。彼親王鶴膝カクシツノ御病アリテ、アヤウクオボシメシケルユヘナルベシ。(後醍醐天皇)