古代研究
―折口学を集大成した論稿集―
折口信夫(1887~1953)の論稿集。3巻。1929~30年刊。
「民俗学篇」には「妣が国へ・常世へ」「琉球の宗教」「水の女」「髯篭の話」「まといの話」「餓鬼阿弥蘇生譚」「翁の発生」「鬼の話」「大嘗祭の本義」など、他界、まれびと、依代、翁、鎮魂などがテーマの民俗学に関する論文が収録されている。
「国文学篇」には「国文学の発生」「短歌本質成立の時代」「女房文学から隠者文学へ」「古代民謡の研究」「日本書と日本紀と」など国文学・芸能史に関する論文が収録されている。
今から二十年も前、特に青年らしい感傷に耽りがちであった当時、私の通って居た学校が、靖国神社の近くにあった。それで招魂祭にはよく、時間の間を見ては、行き行きしたものだ。
今もあるように、其頃からあの馬場の北側には、猿芝居がかかっていた。ある時這入って見ると「葛の葉の子別れ」というのをしている。
猿廻しが大した節廻しもなく、そうした場面の叙情的な地の文を謡うに連れて、葛の葉狐に扮した猿が、右顧左眄の身ぶりをする。
「あちらを見ても山ばかり。こちらを見ても山ばかり。」何でもそういった文句だったと思う。猿曳き特有のあの陰惨な声が、若い感傷を誘うたことを、いまだに覚えている。
平野の中に横たわっている丘陵の信太山。其を見馴れている私どもにとっては、山又山の地方に流伝すれば、こうした妥当性も生じるものだという事が、始めて悟れた。
個人の経験から言っても、それ以来、信太妻伝説の背景が、二様の妥当性の重ね写真になって来たことは事実である。今人の信太妻に関した知識の全内容になっているのは、竹田出雲の「蘆屋道満大内鑑」という浄瑠璃の中程の部分なのである。
恋人を死なして乱心した安倍ノ安名が、正気に還って来たのは、信太の森である。狩り出された古狐が逃げて来る。安名が救うてやった。
亡き恋人の妹葛の葉姫というのが来て、二人ながら幸福感に浸っていると、石川悪右衛門というのが現れて、姫を奪う。安名失望の極、腹を切ろうとすると、先の狐が葛の葉姫に化けて来て留める。
安名は都へも帰られない身の上とて、摂津国安倍野という村へ行って、夫婦暮しをした。その内子供が生れて、五つ位になるまで何事もない。子供の名は「童子丸」と言うた。
葛の葉姫の親「信太ノ荘司」は、安名の居処が知れたので実の葛の葉を連れて、おしかけ嫁に来る。来て見ると、安名は留守で、自分の娘に似た女が布を織っている。
安名が会うて見て、話を聞くと、訣らぬ事だらけである。今の女房になっているのが、いかにも怪しい。そう言う話を聞いた狐葛の葉は、障子に歌を書き置いて、逃げて了う。名高い歌で、訣った様な訣らぬ様な
恋しくば、たづね来て見よ。和泉なる信太の森の うらみ葛の葉
なんだか弖爾波のあわぬ、よく世間にある狐の筆跡とひとつで、いかにも狐らしい歌である。其後、あまりに童子丸が慕うので、信太の森へ安名が連れてゆくと、葛の葉が出て来て、其子に姿を見せるという筋である。
狐子別れは、近松の「百合若大臣野守鏡」を模写したとせられているが、近松こそ却って、信太妻の説経あたりの影響を受けたと思う。
近松の影響と言えば「三十三間堂棟木ノ由来」などが、それであろう。出雲の外にも、此すこし前に紀ノ海音が同じ題材を扱って「信太ノ森女占」という浄瑠璃を拵えている。此方は、そう大した影響はなかった様である。
信太妻伝説は「大内鑑」が出ると共に、ぴったり固定して、それ以後語られる話は、伝説の戯曲化せられた大内鑑を基礎にしているのである。
其以外に、違った形で伝えられていた信太妻伝説の古い形は、皆一つの異伝に繰り込まれることになる。言うまでもなく、伝説の流動性の豊かなことは、少しもじっとして居らず、時を経てだんだん伸びて行く。
しかも何処か似よりの話は、其似た点からとり込まれる。併合は自由自在にして行くが、自分たちの興味に関係のないものは、何時かふり落してしまうといった風にして、多趣多様に変化して行く。
そう言う風に流動して行った伝説が、ある時にある脚色を取り入れて、戯曲なり小説なりが纏まると、其が其伝説の定本と考えられることになる。
また、世間の人の其伝説に関する知識も限界をつけられたことになる。其作物が世に行われれば行われるだけ、其勢力が伝説を規定することになって来る。
長い日本の小説史を顧ると、伝説を固定させた創作が、だんだんくずされて伝説化していった事実は、ざらにあることだ。
大内鑑の今一つ前の創作物にあたって見ると、角太夫節の正本に、其がある。表題は「信太妻」である。併しこれにも、尚今一つ前型があるので、あの正本はどこにあるか訣らないが、やはり同じ名の「信太妻」という説経節の正本があったようである。
「信太妻」の名義は信太にいる妻、あるいは信太から来た妻、どちらとも考えられよう。角太夫の方の筋を抜いて話すと、大内鑑の様に、信太の荘司などは出て来ず、破局の導因が極めて自然で、伝説其儘の様な形になっている。
或日、葛の葉が縁側に立って庭を見ていると、ちょうど秋のことで、菊の花が咲いている。其は、狐の非常に好きな乱菊という花である。
見ているうちに、自然と狐の本性が現れて、顔が狐になってしまった。そばに寝ていた童子が眼を覚まして、お母さんが狐になったと怖がって騒ぐので、葛の葉は障子に「恋しくば」の歌を書いて、去ってしまう。
子供が慕うので、安名が後を慕うて行くと、葛の葉が姿を見せたという。此辺は大体同じことであるが、その前後は、余程変っている。
海音・出雲が角太夫節を作り易えた、といった様に聞えたかも知れないが、実は説経節の影響が直接になければならぬはずだ。
内容は数次の変化を経ているけれど、説経節では其時々の主な語り物を「五説経」と唱えて、五つを勘定している。
いつも信太妻が這入っている処から見ると、此浄瑠璃は説経としても、重要なものであったに違いない。それでは、説経節以前が、伝説の世界に入るものと見て宜しいだろうか。
一体名高い説経節は、恐らく新古の二種の正本のあったものと考える。古曲がもてはやされた処から、多少複雑な脚色をそえて世に出たのが、刊本になった説経正本であろう。(信太妻の話 一)
- 折口信夫(ウィキペディア)
- 作家別作品リスト:折口信夫(青空文庫)