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十二支考じゅうにしこう
―十二支について南方熊楠が縦横自在に語った名著―

南方みなかた熊楠くまぐす(1867~1941)著。
大正3年(1914)1月より雑誌『太陽』に10年にわたり連載。

虎、馬、犬、鶏等十二支の動物について、「民俗と伝説」を中心に説いている。

博覧強記の著者が古今東西の説話を縦横自在に語った名著である。

虎に関する史話と伝説民俗
  (付) 狼が人の子を育つること
 『淵鑑類函』四二九に<『後周書』曰く、突厥とっけつの先、匈奴の別種なり、隣国に破らるるところとる、その族に一小児あり、草沢中に棄つ、牝狼あり、肉を以てこれを飼う、長ずるに及んで狼と交合し、ついにはらめり>、さすがは畜生、人の児を育て上げてその子を孕み、十子を産んだのが突厥狼種民の祖という。

また『地理志』、陝西せんせい慶陽府に狼乳溝あり、周の先祖后稷こうしょくここに棄てられたを、狼が乳育したという。

 一昨年出た柳田氏の『山の人生』二〇章に、予の書翰しょかんに由って上述インドの事例を略叙し、「この種の出来事は必ず昔からであろうが、これに基づいて狼を霊物とした信仰はまだ聞かぬに反して、日本の山の神であっても、子供を取ったという話ばかり多く伝わり、助け育てたという実例はないようである」といわれた。

ところが、インドに狼を氏に名のりその子孫と自信する者多く、狼を族霊(トーテム)とする部種また少なからぬ。上述通りウーズ州にもっとも狼害多いが、ここのジャンワール、ラージュプット族は狼と厚縁あり、その児女狼に食われず、時としてそのに養わると信ぜらるというから、突厥狼種と等しく、狼育人児の一件に基づいて狼を霊物としたのが少なからじ(一八九六年版、クルックの『北印度俗宗および俚俗』二巻一五二~三頁。一九二四年版、エントホヴェンの『孟買ボンベイ俚俗』六章)。

既に上に引いたポールの書にも、ヒンズ人が狼に養われた児を礼拝して、一族狼害を免がると信じた旨明記しある。また日本の狼が人の子を助け育てた実例はないとはもっともな言い分だが、そんな話は確かに伝わりおる。

『紀南郷導記』に、西牟婁郡「滝尻五体王子、剣山権現ともいふ由なり、往昔秀衡ひでひらの室、社後の岩窟にて臨産の節、祈願して母子安全たり、また王子に祈誓し、この子をすなはち巌窟に捨て置き、三山にけいして帰路にこれをみるに、狐狼等守護していさゝかもつつがなき故に、七重伽藍がらん建立こんりゅう」したと見ゆ。

拙妻の妹が剣山の神官の子婦だから、この話は毎度耳にしおり、乳岩という岩ありて乳をしたたり出し、狐狼がそれで以て秀衡の幼児(後に泉三郎忠衡ただひら)を育てたそうだ。

それから前年柳田氏に借りて写し置いた『甲子かっし夜話やわ』一七に、旗下はたもとの一色熊蔵話しとて、「某といへる旗下人の領地にて、狼出て口あきて人に近づく、獣骨を立てたるを見、抜きやれば、明日一小児門外に棄てあり、何者と知れず、すこやかに見えしとて、憐れんでおのが子のごとく養ひ、成長後嗣子とせり、もとより子なかりしを知りて、何方いずかたよりか奪ひ来りしとみゆ、狼つれ来りし証は、肩尖かたさきに歯痕あり、子孫に連綿と勤めおるが、肩には歯痕ごとき物あり」と載す。

事実か否は判らないが、柳田氏の書に引いた他のはなしなみになら十分通ると察する。これで日本にて狼が人の子を育てたり、食わずに人に養わせたりの話が皆無でないと知るべし。

 また大分新らしいのはさるが人の子を養うというやつだ。というと、板垣退助伯の娘猿子の名などより仕組んだ咄など邪推されんが、予の手製でなく、昨年八月九日ロンドン発行『モーニング・ポスト』紙に出た。

二十五年前喜望峯東南州の荒野で邏卒らそつ二名が猴群にまじった一男児をみつけ、れ帰ってルカスと名づけ、農業を教えると、智慧は同侶に及ばねど力量と勤勉と信用はまさり、よく主人に仕え、殊にその子を守るを好む。

珍な事はこの者に時という観念全くなしとの事だ。(完)