「いき」の構造
―「いき」を哲学的に解明した名著―
哲学者九鬼周造(1888~1941)の代表作。
昭和5年(1930)岩波書店から刊行。
序説、「いき」の内包的構造、「いき」の外延的構造、「いき」の自然的表現、「いき」の芸術的表現、結論の6章からなる。
ハイデッガー流の解釈学的方法によって、「いき」という日本的な精神構造を分析したもの。「いき」を男女間の「媚態」、武士道における「意気地」、仏教的な「諦め」の三つの要素のよって成り立つものとしている。
本書は日本思想史研究および日本文化論における代表的文献となっている。
「いき」の第二の徴表は「意気」すなわち「意気地」である。意識現象としての存在様態である「いき」のうちには、江戸文化の道徳的理想が鮮やかに反映されている。江戸児の気概が契機として含まれている。
野暮と化物とは箱根より東に住まぬことを「生粋」の江戸児は誇りとした。「江戸の花」には、命をも惜しまない町火消、鳶者は寒中でも白足袋はだし、法被一枚の「男伊達」を尚んだ。
「いき」には、「江戸の意気張り」「辰巳の侠骨」がなければならない。「いなせ」「いさみ」「伝法」などに共通な犯すべからざる気品・気格がなければならない。
「野暮は垣根の外がまへ、三千楼の色競べ、意気地くらべや張競べ」というように、「いき」は媚態でありながらなお異性に対して一種の反抗を示す強味をもった意識である。
「鉢巻の江戸紫」に「粋なゆかり」を象徴する助六は「若い者、間近く寄つてしやつつらを拝み奉れ、やい」といって喧嘩を売る助六であった。
「映らふ色やくれなゐの薄花桜」と歌われた三浦屋の揚巻も髭の意休に対して「慮外ながら揚巻で御座んす。暗がりで見ても助六さんとお前、取違へてよいものか」という思い切った気概を示した。
「色と意気地を立てぬいて、気立が粋で」とはこの事である。かくして高尾も小紫も出た。「いき」のうちには溌剌として武士道の理想が生きている。
「武士は食わねど高楊枝」の心が、やがて江戸者の「宵越の銭を持たぬ」誇りとなり、更にまた「蹴ころ」「不見転」を卑しむ凛乎たる意気となったのである。
「傾城は金でかふものにあらず、意気地にかゆるものとこころへべし」とは廓の掟であった。「金銀は卑しきものとて手にも触れず、仮初にも物の直段を知らず、泣言を言はず、まことに公家大名の息女の如し」とは江戸の太夫の讃美であった。
「五丁町の辱なり、吉原の名折れなり」という動機の下に、吉原の遊女は「野暮な大尽などは幾度もはねつけ」たのである。「とんと落ちなば名は立たん、どこの女郎衆の下紐を結ぶの神の下心」によって女郎は心中立をしたのである。
理想主義の生んだ「意気地」によって媚態が霊化されていることが「いき」の特色である。
要するに「いき」とは、わが国の文化を特色附けている道徳的理想主義と宗教的非現実性との形相因によって、質料因たる媚態が自己の存在実現を完成したものであるということができる。
したがって「いき」は無上の権威を恣にし、至大の魅力を振うのである。「粋な心についたらされて、嘘と知りてもほんまに受けて」という言葉はその消息を簡明に語っている。
ケレルマンがその著『日本に於ける散歩』のうちで、日本の或る女について「欧羅巴の女がかつて到達しない愛嬌をもって彼女は媚を呈した」といっているのは、おそらく「いき」の魅惑を感じたのであろう。
我々は最後に、この豊かな特彩をもつ意識現象としての「いき」、理想性と非現実性とによって自己の存在を実現する媚態としての「いき」を定義して「垢抜して(諦)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)」ということができないであろうか。(二 「いき」の内包的構造)
- 九鬼周造(ウィキペディア)
- 作家別作品リスト:九鬼周造(青空文庫)