日本文化史研究
―内藤湖南によって論じられた日本文化論の名著―
東洋史家、内藤湖南(1866~1934)著(一部講演筆記)。
大正13年(1924)初版が出され、昭和5年(1930)増補版が出された。
現代日本を知るには、応仁の乱以後を知れば十分だと喝破する「応仁の乱について」などがとくに有名である。
そのほか、「日本文化とは何ぞや」「日本文化の独立」「維新史の資料について」など秀逸な論文を収める。
本書は日本文化論の名著であるばかりではなく、「歴史とは何か」「日本とは何か」という点まで追求した名著であると言える。
さういふ風でとにかくこれは非常に大事な時代であります。大体今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。
それ以前の事は外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これをほんとうに知っておれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります、そういう大きな時代でありますので、それについて私の感じたいろいろな事をいってみたいと思います。
がしかし私はたくさんの本を読んだというわけでありませぬから、わずかな材料でお話するのです、その材料も専門の側からみるとまたうさんくさい材料があるかも知れませぬが、しかしそれも構わぬと思います。
事実が確かであってもなくても大体その時代においてそういう風な考え、そういう風な気分があったという事が判ればたくさんでありますから、しいて事実を穿鑿する必要もありませぬ、ただその時分の気分の判る材料でお話してみようと思います。
しかし私の材料というのは要するにこれだけ(本を指示して)ですから、これを見てもいかに材料が貧弱であり、きわめて平凡なものであるかという事が分ります。
かくのごとく応仁の乱の前後は、単に足軽が跋扈して暴力を揮うというばかりでなく、思想の上においても、その他すべての智識、趣味において、一般にいままで貴族階級の占有であったものが、一般に民衆に拡がるという傾きを持って来たのであります。
これが日本歴史の変り目であります。仏教の信仰においてもこの変化が著しく現われて来ました。仏教の中で、その当時においても急に発達したのが門徒宗であります。
門徒宗は当時においては実に立派な危険思想であります(笑声起る)。一条禅閤兼良などもその点は認めているようでありまして「仏法を尊ぶべき事」と書いてある箇条の中に、「さて出家のともがらも、わが宝を広めんと思う心ざしは有べけれど、無智愚痴の男女をすゝめ入て、はてはては徒党をむすび邪法を行ひ、民業を妨げ濫妨をいたす事は仏法の悪魔、王法の怨敵也、」と書いてある。
一条禅閤兼良は門徒宗のようなむやみに愚民の信仰を得てそれを拡めることに反対の意見をもっておりますが、其当時においてすでにそういう現象があったということが分ります。
それは兼良が直接そういう状態を見ておりましたところからそう感じたのだと思いますが、引きつづき戦国時代において門徒の一揆によってしばしば騒動が起り、加賀の富樫などこれがため亡んでしまい、家康公なども危く一向門徒の一揆に亡ぼされるところでありました。
単に百姓の集まりが信仰によって熱烈に動いた結果、立派な大名をも亡ぼすようになりました。非常に危険なものであって、門徒宗が実に当時の危険思想の伝播に効力があったといっていいのであります。
ただし世の中が治まると、危険思想の中にもちゃんと秩序が立って納まり返るもので、今の真宗では危険思想などといふ者がどこにあったかというような顔をしていますが(笑声起る)なかなかそんなわけのものではなく、少し薬が利き過ぎると、どこまで行くか分らぬほどの状態でありました。
かくのごとく応仁の乱というものはずいぶん古来の制度習慣を維持しようとしております側――一条禅閤兼良などのような側から見ると、堪えられないほど危険な時代であったに違いありませぬ。
それが百年にして元亀天正になって、世の中が統一され整理されるというと、その間に養われたところのいろいろの思想が後来の日本統一に非常に役に立つ思想になりまして、今日のごとくもっとも統一の観念の強い国民を形造って来ているのであります。
しかしこの後も騒ぎがあるたびに必ず統一思想が起るかというとそれはお受け合いができませぬ。今日の日本の労働争議についても保証しろといわれてもそれは保証しませぬ。
ただ前にはそういうことがあったというだけであります。何か騒動があればそのたびごとにその結果としてなにか特別なことができるということは確かであります、ただどういうことができるかということは分らない。
一条禅閤のごときも当時の乱世の後に結構な時代が来るとは予想しなかったのであります。歴史家が過去のことによりて将来の事を判断するということはよほど慎重に考えないと危険なことであります。
とにかく応仁時代というものは、今日過ぎ去ったあとから見ると、そういう風ないろいろの重大な関係を日本全体の上に及ぼし、ことに平民実力の興起においてもっとも肝腎な時代で、平民のほうからはもっとも謳歌すべき時代であるといっていいのであります。
それと同時に日本の帝室というような日本を統一すべき原動力からいっても、たいへん価値のある時代であったということはこれを明言して妨げなかろうと思います、まあ他流試合でありますからこれくらいのところでご免を蒙っておきます。(応仁の乱について)
- 内藤湖南(ウィキペディア)
- 作家別作品リスト:内藤湖南(青空文庫)