正法眼蔵
―道元禅師による禅思想書―
鎌倉時代の仏書。道元(1200~53)の主著。
著者が生前まとめた七十五巻と、後に加えられた十二巻とからなる。
貞永元年(1232)から建長五年(1253)の間、興聖寺や永平寺などで弟子たちに仏教の真髄を説示したもの。
修証一如の宗教的世界がすぐれた和文によって明らかにされ、哲学や文学の分野でも高く評価されており、日本思想の最高峰に位するものといえる。
仏法を会すること、男女貴賤を択ぶべからず。(弁道話)
ただこれ志のありなしによるべし、身の在家・出家にかかわらじ。(弁道話)
知るべし、仏法はまさに自・他の見をやめて学するなり。(弁道話)
仏道を習うというは、自己を習うなり。自己を習うというは、自己を忘るるなり。(現成公案)
薪、灰となりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人の死ぬるのち、さらに生とならず。(現成公案)
生も一時の位なり、死も一時の位なり。たとえば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもわず、春の夏となるといわぬなり。(現成公案)
人の悟りを得る、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。(現成公案)
まさに知るべし、空は一草なり。この空、必ず花咲く、百草に花咲くがごとし。(空華)
深夜の雨の声、苔を穿つのみならんや、巌石を穿却する力もあるべし。(行持 下)
身すでに私にあらず。(恁麼)
外道も妻なきあり、妻なしといえども、仏法に入らざれば、邪見の外道なり。(礼拝得髄)
時に春なり。桃花のさかりなるを見て、忽然として悟道す。(谿声山色)
而今の山水は、古仏の道現成なり。(山水経)
いわゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。(有時)
月のときは必ず夜にあらず、夜必ずしも暗にあらず。ひとえに人間の小量に関わることなかれ。(都機)
昨夜たとい月ありというとも、今夜の月は昨月にあらず。今夜の月は初・中・後ともに今夜の月なりと参究すべし。(都機)
在家の時は俗服なり、出家すれば袈裟となる。(袈裟功徳)