正法眼蔵随聞記
―道元禅師が説いた仏道修行者への心得―
鎌倉時代の仏書。六巻。懐奘(1198~1280)編。興聖寺時代の道元(1200~1253)の法話を、弟子の懐奘が筆録したもの。暦仁元年(1238)以前の成立。
本書は懐奘の死後、門弟によって発見され、『正法眼蔵随聞記』という題が付けられて世に出された。
道元が日常弟子たちに説かれた修行者としての心得が、平易な文体で記されている。
本書にはいくつか異本があるが、昭和17年に愛知県の長円寺で発見された古写本がもっとも古形を伝えていると評価されている。
学道の人、衣食を貪ることなかれ。人々皆食分あり、命分あり。非分の食命を求むとも来たるべからず。(1-3)
学道の人、言を出さんとせん時は、三度顧みて、自利、利他のために利あるべければ是れを言うべし。利、無からん時は止まるべし。(1-3)
僧の損ずることは、多く富家よりおこれり。(1-4)
道は無窮なり。悟りてもなお行道すべし。(1-5)
学道の人は後日を待って行道せんと思うことなかれ。ただ今日今時を過ごさずして、日々時々を勤むべきなり。(1-6)
仏々祖々、皆本は凡夫なり。(1-13)
他の非を見て、わるしと思うて、慈悲を以てせんと思わば、腹立つまじきように方便して、傍らのことを言うようにてこしらうべし。(2-5)
直饒我れ道理を以て道うに、人僻事を言うを、理を攻めて言い勝つは悪しきなり。(2-7)
ひとしく人の見る時と同じく、蔵すべき処をも隠し、慚ずべき処をもはずるなり。(3-10)
人の鈍根と云うは、志の到らざる時の事なり。(3-17)
学道の人は最も貧なるべし。(4-4)
ただ、その人の徳を取り、失を取ることなかれ。「君子は徳を取りて失を取らず」と云う、この心なり。(4-7)
竹の響き妙なりと云えども、自らの縁を待って声を発す。花の色美なりと云えども、独り開くるにあらず、春の時を得て光を見る。(5-4)
玉は琢磨によりて器となる、人は練磨によりて仁となる。何の玉かはじめより光有る、誰人か初心より利なる。必ずみがくべし、すべからく練るべし。自ら卑下して学道をゆるくする事なかれ。(5-4)
高うしても下らんことをわするることなかれ。安んじてもあやうからんことを忘るることなかれ。今日存すれども明日もと思うことなかれ。死に至りあやうきこと、脚下に有り。(5-7)
若し道有りては死すとも、道のうして生くる事なかれ。(5-8)
真実の善をとって行じ、真実の悪を見て捨つべきなり。(5-8)
小人というは、いささか人のあらき言に即ち腹立して、恥辱を思うなり。大人はしかあらず。たとい打ったりとも報を思わず。(5-12)
まことの道を好まば、道者の名をかくすべきなり。(6-3)
人の心、元より善悪なし。善悪、縁に随っておこる。(6-15)
学人道心なくとも、良き人に近づき、善縁にあって、同じ事をいくたびも聞き見るべきなり。(6-15)
病は心に随って転ずるかと覚ゆ。(6-16)