五重塔
―幸田露伴の代表作の一つ―
幸田露伴(1867~1947)の短編小説。
1891年(明治24)11月~1892年3月新聞『国会』に連載。
1892年10月刊『尾花集』に収録。
「のっそり」とあだ名される大工十兵衛が谷中感応寺の五重塔を建立するまでの物語。
落成式の前日、暴風雨に襲われるが、塔は微動だにしなかった。このすさまじい嵐の描写は明治文学きっての名文といわれてきた。
……暴れよ進めよ、無法に住して放逸無慚無理無体に暴れ立て暴れ立て進め進め、神とも戦へ仏をも擲け、道理を壊つて壊りすてなば天下は我等がものなるぞと、叱咤する度土石を飛ばして丑の刻より寅の刻、卯となり辰となるまでも毫も止まず励ましたつれば、数万の眷属勇みをなし、水を渡るは波を蹴かへし、陸を走るは沙を蹴かへし、天地を塵埃に黄ばまして日の光をもほとほと掩ひ、斧を揮つて数寄者が手入れ怠りなき松を冷笑ひつつほつきと斫るあり、矛を舞はして板屋根に忽ち穴を穿つもあり、ゆさゆさゆさと怪力もてさも堅固なる家を動かし橋を揺がすものもあり。
手ぬるし手ぬるし酷さが足らぬ、我に続けと憤怒の牙噛み鳴らしつつ夜叉王の躍り上つて焦躁ば、虚空に充ち満ちたる眷属、をたけび鋭くをめき叫んで遮に無に暴威を揮ふほどに、神前寺内に立てる樹も富家の庭に養はれし樹も、声振り絞つて泣き悲み、見る見る大地の髪の毛は恐怖に一々竪立なし、柳は倒れ竹は割るる折しも、黒雲空に流れて樫の実よりも大きなる雨ばらりばらりと降り出せば、得たりとますます暴るる夜叉、垣を引き捨て塀を蹴倒し、門をも破し屋根をもめくり軒端の瓦を踏み砕き、唯一ト揉に屑屋を飛ばし二タ揉み揉んでは二階を捻ぢ取り、三たび揉んでは某寺を物の見事に潰し崩し、どうどうどつと鬨をあぐるその度毎に心を冷し胸を騒がす人々の、あれに気づかひこれに案ずる笑止の様を見ては喜び、居所さへもなくされて悲むものを見ては喜び、いよいよ図に乗り狼籍のあらむ限りを逞しうすれば、八百八町百万の人みな生ける心地せず顔色さらにあらばこそ。
- 五重塔 (小説)(ウィキペディア)
- 幸田露伴(ウィキペディア)
- 作家別作品リスト:幸田露伴(青空文庫)