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くさまくら
―「智に働けば角が立つ……」で有名な漱石の中編小説―

夏目漱石(1867~1916)の中編小説。
明治39年(1906)9月、「新小説」に発表。
明治40年(1907)1月刊の短編集『鶉籠うずらかご』に収録。

世間にいやけがさし旅に出た画家「」が熊本郊外の那古井なこい温泉を訪れ、宿の才気あふれる美しい娘那美なみとの交流を描く。

当時の漱石独自の文学観であった現実を第三者的にながめるという、いわゆる非人情の美学が語られている。
また、文中に俳句が多く盛り込まれており、「俳句的小説」とも呼ばれている。

冒頭の「智に働けばかどが立つ。情にさおさせば流される。意地を通せば窮屈だ。……」はとくに有名である。

 山路やまみちを登りながら、かう考へた。

 智に働けばかどが立つ。じやうさをさせば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

 住みにくさがかうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟つた時、詩が生れて、画が出来る。

 人の世を作つたものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向ふ三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作つた人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行く許りだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくからう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。こゝに詩人といふ天職が出来て、ここに画家といふ使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするが故にたつとい。(一)

 この調子なら大丈夫と乗気になって出るだけの句をみなかき付ける。

春の星を落して夜半よはのかざしかな
春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪
春や今宵歌つかまつる御姿
海棠の精が出てくる月夜かな
うた折々月下の春ををちこちす
思ひ切つて更け行く春の独りかな

などと、試みて居るうち、いつしか、うとうと眠くなる。(三)

「先生、わたくしの画をかいて下さいな」と那美さんが注文する。久一さんは兄さんと、しきりに軍隊の話をしている。老人はいつか居眠りをはじめた。

「書いてあげませう」と写生帖を取り出して、

春風にそら繻子しゆすの銘は何

と書いて見せる。女は笑ひながら、

「こんな一筆がきでは、いけません。もつと私の気象の出る様に、丁寧にかいて下さい」

「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔は夫れ丈ぢや画にならない」

「御挨拶です事。それぢや、どうすれば画になるんです」

「なに今でも画に出来ますがね。只少し足りない所がある。それが出ない所をかくと、惜しいですよ」

「足りないたつて、持つて生れた顔だから仕方がありませんわ」

「持つて生れた顔は色々になるものです」

「自分の勝手にですか」

「えゝ」

「女だと思つて、人をたんと馬鹿になさい」

「あなたが女だから、そんな馬鹿を云ふのですよ」

「それぢや、あなたの顔を色々にして見せて頂戴」

「是程毎日色々になつてれば沢山だ」(十三)

 茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。

野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。其茫然のうちには不思議にも今迄かつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いてゐる。

 「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」

と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云つた。余が胸中の画面は此咄嗟の際に成就したものである。(十三)