現代日本の開化
―夏目漱石の現代文明論―
夏目漱石(1867~1916)の和歌山においての講演録。明治44年(1911)8月。
漱石は「西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である」と日本の開化の特色を分析している。
また、「現代日本の開化は皮相上滑りの開化であるという事に帰着するのである」ともいい、「事実やむをえない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならない」「上皮を滑って行き、また滑るまいと思って踏張るために神経衰弱になる」など悲観的な結論に達している。
ともあれ、すべてが「外発的」である近代日本の宿命を漱石は鋭く分析しており、卓越した文明論となっている。
それで現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかというのが問題です。
もし一言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい、西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。
ここに内発的というのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向うのをいい、また外発的とは外からおっかぶさった他の力で已むを得ず一種の形式を取るのを指した積なのです。
もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉を付けた以後の日本の開化は大分勝手が違います。
勿論どこの国だって隣づき合がある以上はその影響を受けるのが勿論の事だから吾日本といえども昔からそう超然としてただ自分だけの活力で発展したわけではない。
ある時は三韓またある時は支那という風に大分外国の文化にかぶれた時代もあるでしょうが、長い月日を前後ぶっ通しに計算して大体の上から一瞥して見るとまあ比較的内発的の開化で進んで来たといえましょう。
少なくとも鎖港排外の空気で二百年も麻酔した揚句突然西洋文化の刺戟に跳ね上ったくらい強烈な影響は有史以来まだ受けていなかったというのが適当でしょう。
日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。また曲折しなければならないほどの衝動を受けたのであります。
これを前の言葉で表現しますと、今まで内発的に展開して来たのが、急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応なしにそのいう通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。
それが一時ではない。四五十年前に一押し押されたなりじっと持ち応えているなんて楽な刺戟ではない。
時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、または恐らく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在出来ないのだから外発的というより外に仕方がない。
その理由は無論明白な話で、前詳しく申上げた開化の定義に立戻って述べるならば、吾々が四五十年間始めて打つかった、また今でも接触を避けるわけに行かないかの西洋の開化というものは我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である。
粗末な説明ではあるが、つまり我々が内発的に展開して十の複雑の程度に開化を漕ぎつけた折も折、図らざる天の一方から急に二十三十の複雑の程度に進んだ開化が現われて俄然として我らに打って懸ったのである。
この圧迫によって吾人は已を得ず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである。
開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕を有たないから、できるだけ大きな針でぼつぼつ縫って過ぎるのである。
足の地面に触れる所は十尺を通過するうちに僅か一尺くらいなもので、他の九尺は通らないのと一般である。私の外発的という意味はこれでほぼ御了解になったろうと思います。
これを一言にしていえば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であるという事に帰着するのである。
無論一から十まで何から何までとは言わない。複雑な問題に対してそう過激の言葉は慎まなければ悪いが我々の開化の一部分、あるいは大部分はいくら己惚れて見ても上滑りと評するより致し方がない。
しかしそれが悪いからお止しなさいというのではない。事実やむを得ない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないというのです。
- 夏目漱石(ウィキペディア)
- 作家別作品リスト:夏目漱石(青空文庫)