古事記
―我が国最古の歴史書―
我が国最古の歴史書。三巻。712年成立。
稗田阿礼に誦習させていた帝紀・旧辞を、太安万侶が撰録。
上巻は神代の物語(神話)、中巻は神武天皇から応神天皇まで十五代の記事、下巻は仁徳天皇から推古天皇まで十八代の記事を収める。
ここにその妹伊邪那美命に問ひて、「汝が身は如何にか成れる」と曰りたまへば、「吾が身は、成り成りて、成り合はざる処一処あり」と答へたまひき。ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は成り成りて、成り余れる処一処あり。かれ、この吾が身の成り余れる処をもちて、汝が身の成り合はざる処にさし塞ぎて、国土を生み成さむとおもふ。生むこといかに」とのりたまへば、伊邪那美命、「然善けむ」と答へたまひき。
ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「然らば吾と汝とこの天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひせむ」とのりたまひき。かく期りてすなはち、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」と詔りたまひ。約り竟へて廻る時、伊邪那美命先に「あなにやし、えをとこを」と言ひ、後に伊邪那岐命、「あなにやし、えをとめを」と言ひ、各言ひ竟へし後、その妹に告げて、「女人先に言へるは良からず」と曰りたまひき。然れどもくみどに興して、子水蛭子を生みき。この子は葦船に入れて流し去てき。次に淡島を生みき。こも子の例には入らず。(伊邪那岐命と伊邪那美命)
ここに大穴牟遅神その菟に教へて告りたまはく、「今急かにこの水門に往き、水をもちて汝が身を洗ふ即ち、その水門の蒲黄を取り、敷き散らしてその上に輾轉べば、汝が身本の膚のごと必ず差えむ」とのりたまひき。かれ、教への如くせしに、その身本の如し。これ稲羽の素菟なり。今に菟神といふ。かれ、その菟大穴牟遅神に白さく、「この八十神は、必ず八上比売を得じ。帒を負へども汝命獲たまはむ」とまをしき。(因幡の白兎)
- 古事記(ウィキペディア)
- 鈴木三重吉『古事記物語』(青空文庫)