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憲法十七条けんぽうじゅうしちじょう
―我が国最古の憲法―

我が国最古の成文法。604年、聖徳太子しょうとくたいし(574~622)制定と伝えられている。

『日本書紀』巻第二十二(推古すいこ天皇)に全文が引用されており、「皇太子、みづかはじめて憲法十七条作りたまふ」と記されている。

この憲法は今日の憲法とは違い、儒家・法家・道家や仏教思想をバックボーンとした道徳的規範のようなものである。

夏四月なつうづき丙寅ひのえとらついたち戊辰つちのえたつのひに、皇太子、みづかはじめて憲法十七条作りたまう。

一に曰わく、を以てとうとしと為し、さからうこと無きをむねよ。人みなたむらあり、またさとれる者すくなし。是を以て、或いは君父にしたがわず、また隣里りんりたがう。然れども、上やわらぎ下むつびて、事をろんずるにかなえば、則ち事理じり自づから通ず。何事か成らざらん。

二に曰わく、あつ三宝さんぼううやまえ。三宝とはぶつほうそうなり。則ち四生ししよう終帰しゆうき、万国の極宗ごくしゆうなり。いづれの世、いづれの人か、是のほうとうとばざる。人、はなはしきはすくなし。能く教うれば従う。其れ三宝にせずんば、何を以てかまがれるをなおくせん。

三に曰わく、みことのりけては必ず謹め。きみは則ちてんたり、しんは則ちたり。天おおい、せて、四時しじ順行し、万気ばんき通ずることを得。てんおおわんとば、則ちやぶるることを致さんのみ。ここを以て、君のたまえばしん承け、かみおこなえば下なびく。ゆえに、みことのりを承けては必ず慎め。謹まずんばおのづから敗れん。

四に曰わく、群卿ぐんけい百寮ひやくりようれいを以て本とせよ。其れたみを治むるの本は、かなられいに在り。上れいあらざれば、下ととのわず。下れいなければ、必ず罪あり。是を以て、群臣ぐんしんれいあれば、位次いじ乱れず。百姓れいあれば、国家自づから治まる。

五に曰わく、むさぼりを絶ち欲を棄てて、明らかに訴訟うつたえさだめよ。其れ百姓のうつたえ、一日に千事あり。一日すら尚しかり、況んや歳をかさぬるをや。このごろうつたえを治むる者、利を得るを常となし、まいないを見てうつたえを聴く。便ち財あるもののうつたえは、石を水に投ぐるが如く、乏しき者のうつたえは、水を石に投ぐるに似たり。是を以て、貧しき民は、則ち由るところを知らず。臣の道、またここにく。

六に曰わく、悪をこらし善をすすむるは、いにしえ良典よきのりなり。是を以て、人の善をかくすことなく、悪を見ては必ずただせ。其れへつらいつわる者は、則ち国家をくつがえす利器たり、人民を絶つ鋒剣ほうけんたり。またおもねぶる者は、上に対しては則ち好みて下のあやまちを説き、下に逢いては則ち上のあやまち誹謗そしる。其れくの如き人は、皆きみに忠なく、民に仁なし。是れ大乱の本なり。

七に曰わく、人にはおのおのにんあり。つかさどること、宜しくみだれざるべし。其れ賢哲けんてつ官に任ずれは、むるこえ則ち起り、かだましき者かんたもつときは、禍乱からん則ち繁し。世に生れながら知るもの少し。おもうて聖とる。こと大少となく、人を得れば必ず治まり、時急緩きゅうかんとなく、賢に遇えば自づからゆるやかなり。此れに因って、国家永久にして、社禝しやしよく危きことなし。故にいにしえの聖王は、官のために人を求め、人のために官を求めず。

八に曰わく、群卿ぐんけい百寮ひやくりよう、早くまいりておそ退さがれよ。公事はいとまなし。終日ひねもすにても尽し難し。是を以て、遅くまいれば急におよばず、早く退さがれば必ずこと尽さず。

九に曰わく、信は是れ義の本なり。事毎ことごとに信あれ。其れ善悪成敗は、かならず信にあり。群臣ぐんしん共に信あらば、何事か成らざらん。群臣ぐんしん信なくば、万事ことごとく敗れん。

十に曰わく、忿いかりを絶ちいかりを棄て、人のたがうを怒らざれ。人皆心あり、心おのおのるところあり。彼とすれば則ち我は非とし、我とすれば則ち彼は非とす。我必ずしも聖に非ず、彼必ずしも愚に非ず、共に是れ凡夫のみ。是非の理、なんぞ能く定むべき。相共に賢愚なること、みみがねの端なきが如し。是を以て、彼の人いかると雖も、還って我があやまちを恐れよ。我独り得たりと雖も、衆に従って同じくおこなえ。

十一に曰わく、明らかに功過を察して、賞罰必ず当てよ。このごろ、賞は功においてせず、罰は罪においてせず。事を群卿ぐんけい、宜しく賞罰を明らかにすべし。

十二に曰わく、国司・国造・百姓におさめとることなかれ。国に二君なく、民に両主なし。率土そつとの兆民は、王を以て主となす。任ずるところの官司つかさは、皆是れ王臣なり。何ぞ敢えて、おおやけとともに、百姓よりおさらん。

十三に曰わく、もろもろの官に任ずる者は、同じく職掌を知れ。或いは病み、或いは使つかいして、事をくことあらん。然れども、知ることを得る日には、和することかつてれるが如くせよ。其れあずかり聞くことなしというを以て、公務をさまたぐることなかれ。

十四に曰わく、群臣ぐんしん百寮ひやくりよう、嫉妬あることなかれ。我すでに人をねためば、人もまた我をねたむ。嫉妬のわずらい、其のきわみを知らず。所以に、智おのれに勝るときは則ち悦ばず、才おのれすぐるときは則ちねたそねむ。是を以て、五百歳の後、乃今いまし、賢に遇うとも、千載せんざいにして一聖を待つこと難し。其れ賢聖を得ずんば、何を以てか国を治めん。

十五に曰わく、私を背きて公に向うは、是れ臣が道なり。およそ人、私あれば必ずうらみあり。うらみあれば必ず同ぜず、同ぜざれば則ち私を以て公を妨ぐ。うらみ起れば、則ち制にたがい法をそこなう。故に初章に云わく、上下和諧わかいせよと。其れまた是の情なる

十六に曰わく、民を使うに時を以てするは、古の良典よきのりなり。故に冬の月にはいとまあり、以て民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑のときなり、民を使うべからず。其れたつくらずば何をかくらい、こがいせずば何をかん。

十七に曰わく、夫れ事は独り断ずべからず、必ず衆とともに宜しく論ずべし。少事は是れ軽し、必ずしも衆とすべからず。ただ大事を論ずるにおよびては、若しあやまちあらんことを疑う。故に衆とともに相弁ずれば、ことば則ちことわりを得ん。