>   近現代   >   思ひ出

思ひ出
―北原白秋の第二詩集―

北原白秋きたはらはくしゅう(1885~1942)の第二詩集。
明治44年(1911)6月、東雲堂書店刊。

抒情じょじょう小曲集」という副題が付けられている。幼少年時代の思い出を故郷柳河やながわの異国情緒あふれる風物とともに歌いあげている。「わが生ひたち」と題する長文の序文も名文である。

「序詩」「骨牌かるたの女王」「断章」「過ぎし日」「おもひで」「生の芽生めばえ」「TONKA JOHN の悲哀」「柳河風俗詩」の7章215篇からなる。

わが生ひたち
  2
 私の郷里柳河やながわは水郷である。そうして静かな廃市の一つである。自然の風物はいかにも南国的であるが、すでに柳河の街を貫通する数知れぬ溝彼ほりわりのにおいには日に日にすたれゆくふるい封建時代の白壁が今なお懐かしい影を映す。

肥後路ひごじより、あるいは久留米路より、あるいは佐賀より筑後川の流れを超えて、わが街に入り来る旅びとはその周囲の大平野に分岐して、遠く近く瓏銀ろうぎんの光を放っている幾多の人工的河水を眼にするであろう。

水郷柳河やながわはさながら水に浮いた灰色のひつぎである。

  断章
 一
今日けふもかなしと思ひしか、ひとりゆふべを、
銀の小笛のもほそく、ひとりかすかに、
すすり泣き、吹き澄ましたるわがこころ、
薄き光に。

 二
ああかなし、
あはれかなし、
君は過ぎます、
くゆりいみじきメロデアのにほひのなかに、
薄れゆくクラリネツトののごとく、
君は過ぎます。

 三
ああかなし、
あえかにもうらわかきああわが君は、
ひともとの芥子けしの花そが指に、のくれなゐを
いと薄きうれひもてゆきずりに触れて過ぎゆく。

 六
あはれ友よ、わかき日の友よ、
今日けふもまたまちにいでて少女をとめらにおもて染むとも、
あざみそ、われはなほわれはなほ心をさなく、
やはらかき山羊やぎのいまも身にせもあへねば。

 八
女子をみなごよ、
はかなし、
のたまはぬはかなし、
ただ、ひとつ、
一言ひとことのわれをおもふと。

 二十二
わが友はいづこにありや。
晩秋おそあき入日いりひの赤さ、さみしらにひとり眺めて、
いさぐるピアノのけんうつつなき高音たかねのはしり、
かくてはや、独身ひとりみ独身ひとりみ今日けふも過ぎゆく。

 五十
いかにせむ……
やはらかに
えて、
ああ君は
くちびるをさしあてたまふ。

  初恋
薄らあかりにあかあかと
踊るその子はただひとり。
薄らあかりに涙して
消ゆるその子もただひとり。
薄らあかりに、おもひでに、
踊るそのひと、そのひとり。

  朝の水面
朝の水面みのも燻銀いぶしぎん
泣けばちらちら日が光る。
わしがこころの燻銀いぶしぎん
けふもさみしく、ちらちらと。

  時は逝く
時はく、赤き蒸汽の船腹ふなばらの過ぎゆくごとく。
穀倉こくぐら夕日ゆふひのほめき、
黒猫のうつくしき耳鳴みみなりのごと、
時はく、何時いつしらず、やはらかに陰影かげしてぞゆく。
時はく、赤き蒸汽の船腹ふなばらの過ぎゆくごとく。