海潮音
―上田敏の第一訳詩集―
上田敏(1874~1916)の訳詩集。
明治38年(1905)10月、本郷書院刊。
ヨーロッパの詩人29人の作品57編を収める。
ベルレーヌ「落葉」、ブッセ「山のあなた」、ブラウニング「春の朝」など名訳が多い。
この詩集は薄田泣菫、北原白秋らをはじめ、多くの詩人たちに多大なる影響を与え、近代詩の流れを大きく動かす働きをした。
落葉 ポオル・ヴェルレエヌ
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
山のあなた カアル・ブッセ
山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみかへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。
春の朝 ロバアト・ブラウニング
時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
わすれなぐさ ウィルヘルム・アレント
ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみづあさぎ、
なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく
春 パウル・バルシュ
森は今、花さきみだれ
艶なりや、五月たちける。
神よ、擁護をたれたまへ、
あまりに幸のおほければ。
やがてぞ花は散りしぼみ、
艶なる時も過ぎにける。
神よ擁護をたれたまへ、
あまりにつらき災な来そ。
秋 オイゲン・クロアサン
けふつくづくと眺むれば、
悲の色口にあり。
たれもつらくはあたらぬを、
なぜに心の悲める。
秋風わたる青木立
葉なみふるひて地にしきぬ。
きみが心のわかき夢
秋の葉となり落ちにけむ。
わかれ ヘリベルタ・フォン・ポシンゲル
ふたりを「時」がさきしより、
昼は事なくうちすぎぬ。
よろこびもなく悲まず、
はたたれをかも怨むべき。
されど夕闇おちくれて、
星の光のみゆるとき、
病の床のちごのやう、
心かすかにうめきいづ。
水無月 テオドル・ストルム
子守歌風に浮びて、
暖かに日は照りわたり、
田の麦は足穂うなだれ、
茨には紅き果熟し、
小河には木の葉みちたり。
いかにおもふ、わかきをみなよ。
花のをとめ ハインリッヒ・ハイネ
妙に清らの、あゝ、わが児よ、
つくづくみれば、そゞろ、あはれ、
かしらや撫でゝ、花の身の
いつまでも、かくは清らなれと、
いつまでも、かくは妙にあれと、
いのらまし、花のわがめぐしご。
白楊 テオドル・オオバネル
落日の光にもゆる
白楊の聳やぐ並木、
谷隈になにか見る、
風そよぐ梢より。
故国 テオドル・オオバネル
小鳥でさへも巣は恋し、
まして青空、わが国よ、
うまれの里の波羅葦増雲。
海のあなたの テオドル・オオバネル
海のあなたの遙けき国へ
いつも夢路の波枕、
波の枕のなくなくぞ、
こがれ憧れわたるかな、
海のあなたの遙けき国へ。
篠懸 ガブリエレ・ダンヌンチオ
白波の、潮騒のおきつ貝なす
青緑しげれる谿を
まさかりの真昼ぞ知す。
われは昔の野山の精を
まなびて、こゝに宿からむ、
あゝ、神寂びし篠懸よ、
なれがにほひの濡髪に。
- 上田敏(ウィキペディア)
- 海潮音(詩集)(ウィキペディア)
- 作家別作品リスト:上田敏(青空文庫)