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葉隠はがくれ
―江戸中期の武士道書―

江戸中期の武士道書。十一巻。享保元年(1716)成立。正しくは『葉隠聞書はがくれききがき』。

肥前(佐賀)鍋島氏の家臣山本常朝じょうちょう(1659~1719)の談話を門人の田代陳基のぶともが採録したもの。なお、「常朝じょうちょう」とは四十二歳での出家以後のみ、出家以前は「常朝つねとも」と訓んだ。

第一巻、第二巻は常朝自身の教訓、第三巻から第五巻は鍋島直茂、勝茂、光茂など佐賀藩主の言行、第六巻から第九巻までは佐賀藩のことと佐賀藩士の言行、第十巻は他国の武士の言行など、第十一巻は前十巻の補遺という構成になっている。

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一句はとくに有名。別名『鍋島なべしま論語』。

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死方しぬかたに片付くばかりなり。別に仔細しさいなし。胸すわつて進むなり。図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風かみがたふうの打ちあがりたる武道なるべし。(聞書第一)

人に意見をしてきずを直すと云ふは大切の事、大慈悲、御奉公の第一にて候。(聞書第一)

げんはマボロシとむなり。天竺てんじくにては術師の事を幻出師げんしゅつしと云ふ。世界は皆からくり人形なり。幻の字を用ひるなり。(聞書第一)

……「喰ふか喰ふまいかと思ふものは喰はぬがよし、死なうか生きようかと思ふ時は死したがよし」と仕り候。(聞書第一)

大酒たいしゅにて後れを取りたる人数多あまたなり。別して残念の事なり。(聞書第一)

芸は身を助くると云ふは、他方の侍の事なり。御当家の侍は、芸は身を亡ぼすなり。何にても一芸これある者は芸者なり、侍にあらず。(聞書第一)

……武士道においては死狂ひなり。(聞書第一)

少し理屈などを合点したる者は、やがて高慢して、一ふり者と云はれては悦び、我今の世間に合はぬ生れつきなどと云ひて、我が上あらじと思ふは、天罰あるべきなり。(聞書第一)

若き内に立身して御用に立つは、のうぢなきものなり。発明の生れつきにても、器量熟せず、人も請け取らぬなり。五十ばかりより、そろそろ仕上げたるがよきなり。その内は諸人の目に立身遅きと思ふ程なるが、のうぢあるなり。(聞書第一)

義経ぎけい軍歌に、「大将は人に言葉をよくかけよ」とあり。(聞書第一)

世に教訓をする人は多し、教訓を悦ぶ人はすくなし。まして教訓に従ふ人はまれなり。年三十も越したる者は、教訓する人もなし。教訓の道ふさがりて、我儘わがままなる故、一生非を重ね、愚を増して、すたるなり。(聞書第一)

……恋の至極は忍恋と見立て候。蓬ひてからは恋のたけが低し、一生忍んで思ひじにする事こそ恋の本意なれ。(聞書第二)

端的只今の一念より外はこれなく候。一念一念と重ねて一生なり。(聞書第二)

人間一生誠にわづかの事なり。好いた事をして暮すべきなり。夢の間の世の中に、すかぬ事ばかりして苦を見て暮すはおろかなることなり。この事は、悪しく聞いては害になる事故、若き衆などへ終に語らぬ奥の手なり。我は寝る事が好きなり。今の境界相応に、いよいよ禁足して、寝て暮すべしと思ふなり。(聞書第二)

少し眼見え候者は、我がけを知り、非を知りたると思ふゆゑ、なほ々自慢になるものなり。実に我が長け、我が非を知る事成り難きものの由。海音かいおん和尚御咄おんはなしなり。(聞書第二)

徳ある人は、胸中にゆるりとしたる所がありて、物毎いそがしきことなし。小人は、静かなる所なく当り合ひ候て、がたつき廻り候なり。(聞書第二)

兼好・西行などは、腰ぬけ、すくたれ者なり。武士わざがならぬ故、抜け風をこしらへたるものなり。(聞書第二)

直茂公、「当時気味よき事は、必ず後に悔む事あるものなり」と、御意ぎょいなされ候由。(聞書第三)

勝茂公兼々御意なされ候には、奉公人は四通りあるものなり。急だらり、だらり急、急々、だらりだらりなり。(聞書第四)

大行たいこう細瑾さいきんをかへりみずと云ふことあり。(聞書第十一)