風姿花伝
―世阿弥の能楽論書―
室町前期の能楽論書。七編。世阿弥著。応永七年(1400)から同九年頃の成立。
生涯の稽古のありかたを段階ごとに説く「年来稽古条々」など、その内容は演技・演出の全般にわたる。芸術論としても重要。
略称は『花伝』。『花伝書』という俗称は正しくない。
(序)
それ、申楽延年の事わざ、その源を尋ぬるに、あるひは仏在所より起り、あるひは神代より伝はるといへども、時移り、代隔りぬれば、その風を学ぶ力、及び難し。
近来、万人のもてあそぶところは、推古天皇の御宇に、聖徳太子、秦の河勝に仰せて、かつは天下安全のため、かつは諸人快楽のため、六十六番の遊宴をなして、申楽と号せしよりこのかた、代々の人、風月の景を借つて、この遊びの中だちとせり。
その後、かの河勝の遠孫、この芸を相続ぎて、春日・日吉の神職たり。よつて、和州・江州の輩、両社の神事に従ふ事、今に盛んなり。
されば、古きを学び、新しきを賞する中にも、全く風流を邪にすることなかれ。ただ、言葉卑しからずして、姿幽玄ならんを、うけたる達人とは申すべきか。
先ず、この道に至らんと思はん者は、非道を行ずべからず。ただし、歌道は風月延年の飾りなれば、もつともこれを用ふべし。
およそ、若年よりこのかた、身聞き及ぶところの稽古の条々、大概注し置く所なり。
一、好色・博奕・大酒、三重戒、これ古人の掟なり。
一、稽古は強かれ、情識はなかれ、となり。
風姿花伝第一 年来稽古条々
七歳
一、この芸において、大かた七歳をもて初めとす。この比の能の稽古、必ず、その物自然とし出だす事に、得たる風体あるべし。
舞・働の間、音曲、もしくは怒れる事などにてもあれ、ふとし出ださんかゝりを、うち任せて、心のまゝにせさすべし。
さのみに「善き」「悪しき」とは、教ふべからず。あまりに痛く諫むれば、童は気を失ひて、能、物くさく成りたちぬれば、やがて能は止まるなり。
風姿花伝第二 物学条々
物まねの品々、筆に尽し難し。さりながら、この道の肝要なれば、その品々を、いかにもいかにも嗜むべし。
およそ、何事をも残さず、よく似せんが本意なり。しかれども、また、事によりて、濃き・淡きを知るべし。
風姿花伝第三 問答条々
問。そもそも、申楽を始むるに、当日に臨んで、まづ座敷を見て、吉凶をかねて知る事は、いかなる事ぞや。
答。この事、一大事なり。その道に得たらん人ならでは、心得べからず。
風姿花伝第四 神儀に云はく
一、申楽・神代の始まりと云つぱ、天照大神、天の岩戸に籠り給ひし時、天下常闇に成りしに、八百万の神達、天香具山に集り、大神の御心をとらんとて、神楽を奏し、細男を始め給ふ。
(第五)奥義に云はく
そもそも、風姿花伝の条々、大かた、外見の憚り、子孫の庭訓のため注すといへども、たゞ望む所の本意とは、当世、この道の輩を見るに、芸のたしなみは疎かにて、非道のみ行じ、たまたま当芸に至る時も、たゞ一夕のけせう、一旦の名利に染みて、源を忘れて流れを失ふ事、道すでに廃る時節かと、これを歎くのみなり。
風姿花伝第六 花修に云はく
一、能の本を書く事、この道の命なり。極めたる才学の力なけれども、たゞ工みによりて、よき能にはなるもの也。
大方の風体、序破急の段に見えたり。ことさら、脇の申楽、ほんぜつ正しくて、開口より、その謂れと、やがて人の知る如くならんずる来歴を書くべし。
風姿花伝第七 別紙口伝
この口伝に花を知る事。まづ、仮令、花の咲くを見て、万に花と譬へ始めし理をわきまうべし。
されば、初心よりのこのかたの、芸能の品々を忘れずして、その時々・用々に従つて取り出すべし。若くては年寄の風体、年寄りては盛りの風体を残す事、珍らしきにあらずや。
しかれば、芸能の位上れば、過ぎし風体をし捨てし捨て忘るゝ事、ひたすら花の種を失ふなるべし。その時々にありし花のまゝにて、種なければ、手折れる枝の花の如し。
種あらば、年々時々の比に、などか逢はざらん。たゞ、返すがへす、初心を忘るべからず。されば、常の批判にも、若き為手をば、「早く上がりたる」「功入りたる」など褒め、年寄りたるをば、「若やぎたる」など批判するなり。
これ、珍らしき理ならずや。十体の内を色どらば、百色にもなるべし。その上に、年々去来の品々を、一身当芸に持ちたらんは、いか程の花ぞや。
一、この別紙の口伝、当芸に於いて、家の大事、一代一人の相伝なり。たとへ一子たりと云ふとも、無器量の者には伝ふべからず。「家、家にあらず。継ぐをもて家とす。人、人にあらず。知るをもて人とす」と云ゑり。これ、万徳了達の妙花を極むる所なるべし。