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よるきり
―ドイツ強制収容所の体験記録―

フランクル(1905~97)著。
1947年刊行。邦訳は1956年、霜山徳爾訳。

原題は「心理学者、強制収容所を体験する」。
みすず書房より刊行。

その後、改訂版が1977年に出版され、その邦訳が池田香代子により新版として2002年に刊行されている。

ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)はオーストリアの精神医学者でウィーンに生まれ、ウィーン大学医学部神経科教授、ウィーン市立総合病院精神科部長を務めたが、その後渡米し、ハーバード大学等の客員教授や合衆国国際大学教授を務めた。

フロイト、アドラーに師事し、当初ヤスパースの影響を受け、「実存分析」を唱えた。のちに「ロゴテラピー(Logotherapie)」という独自の人格的心理療法を提唱し、ロゴテラピー研究所を主宰した。

ロゴテラピーとは心理療法の一種で、人間が存在することの「意味への意志」をもっとも重視する人間学的な研究法である。

『夜と霧』は、1942年、フランクルがユダヤ人であるためナチスに逮捕され、強制収容所へ送られたその体験記録である。極限状況における人間の心理分析が詳細に記されており、フランクルの提唱したロゴテラピー理論の基礎にもなっている。

また、本書は優れた自己啓発書でもあり、人生の意味や使命を持つことの意義、自分の仕事を全うすることの意義等について深く考えさせられる。世界24ヶ国語に翻訳され、ベストセラーとなっている。

異常な状況においては異常な反応がまさに正常な行動であるのである。(二 アウシュヴィッツ到着)

苦悩する者、病む者、死につつある者、死者――これらすべては数週の収容所生活の後には当り前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである。(三 死の蔭の谷にて)

 無感覚、感情の鈍麻、内的な冷淡と無関心……収容所囚人の心理的反応の第二の段階のこれらの特徴は、彼をまた間もなく毎日の、また毎時間の殴打に対しても無感覚にさせた。この無感動こそ、当時囚人の心をつつむ最も必要な装甲であった。(三 死の蔭の谷にて)

元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的繊細な感情素質にも拘わらず、収容所生活のかくも困難な、外的状況を苦痛ではあるにせよ彼等の精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。

なぜならば彼等にとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。

かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである。(四 非情の世界に抗して)

 一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命とそれが彼に課する苦悩とを自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間が彼の苦悩を彼の十字架としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況にあってもなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が開かれているのである。(七 苦悩の冠)

囚人に対するあらゆる心理治療的あるいは精神衛生的努力が従うべき標語としては、おそらくニーチェの「何故生きるかを知っている者は、殆んどあらゆる如何に生きるか、に耐えるのだ。」という言葉が最も適切であろう。

すなわち囚人が現在の生活の恐ろしい「如何に」(状態)に、つまり収容所生活のすさまじさに、内的に抵抗に身を維持するためには何らかの機会がある限り囚人にその生きるための「何故」をすなわち生活目的を意識せしめねばならないのである。(八 絶望との闘い)

ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。(八 絶望との闘い)

われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。(八 絶望との闘い)

人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果すこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。(八 絶望との闘い)

〔以上、すべて霜山徳爾訳〕