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痴人ちじんあい
―マゾヒズムをテーマとした谷崎文学の代表作―

谷崎潤一郎(1886~1965)の長編小説。
大正13年(1924)3月から6月まで『大阪朝日新聞』に、同年11月から翌年7月まで『女性』に連載。大正14年(1925)、改造社刊。

主人公の「私」(河合譲治)が、浅草のカフェで女給をしていたナオミという西洋風の少女を引き取り、妻として自分の好みの理想の女に仕立てあげる。

その後、ナオミは魔性の女に成長し、「私」は彼女の肉体の魅力に抗しきれず、奴隷のごとくかしずくに至る。

自由奔放な女主人公ナオミは、モダン・ガールの典型として評判となり、当時「ナオミズム」なる新語が生まれた。

彼女のとしはやっと数え歳の十五でした。だから私が知った時はまだそのカフエエへ奉公に来たばかりの、ほんの新米だったので、一人前の女給ではなく、それの見習い、――まあ云って見れば、ウエイトレスの卵に過ぎなかったのです。

そんな子供をもうその時は二十八にもなっていた私が何で眼をつけたかと云うと、それは自分でもハッキリとは分りませんが、多分最初は、そのの名前が気に入ったからなのでしょう。

彼女はみんなから「直ちゃん」と呼ばれていましたけれど、或るとき私が聞いてると、本名は奈緒美と云うのでした。この「奈緒美」という名前が、大変私の好奇心に投じました。

「奈緒美」は素敵だ、NAOMI と書くとまるで西洋人のようだ、と、そう思ったのが始まりで、それから次第に彼女に注意し出したのです。

不思議なもので名前がハイカラだとなると、顔だちなども何処どこか西洋人臭く、そうして大そう悧巧りこうそうに見え、「こんな所の女給にして置くのは惜しいもんだ」と考えるようになったのです。(一)