本居宣長
―小林秀雄晩年の代表作―
小林秀雄(1902~1983)の評伝。
昭和40年(1965)~51年(1976)、『新潮』に連載。
昭和52年(1977)10月、新潮社刊。
学術的な分析や解釈によらず、宣長の肉声に耳を澄ますことによって宣長の思想の発見に努めている。
宣長の学問には古くから批判が多く、小林はその点を「宣長の仕事は、批評や非難を承知の上のものだつたのではないでせうか」とうまくかわしている。
日本文学大賞を受けた晩年の代表作。
本居宣長について、書いてみたいといふ考へは、久しい以前から抱いてゐた。戦争中の事だが、「古事記」をよく読んでみようとして、それなら、面倒だが、宣長の「古事記伝」でと思ひ、読んだ事がある。
それから間もなく、折口信夫氏の大森のお宅を、初めてお訪ねする機会があつた。話が、「古事記伝」に触れると、折口氏は、橘守部の「古事記伝」の評について、いろいろ話された。
浅学な私には、のみこめぬ処もあつたが、それより、私は、話を聞き乍ら、一向に言葉に成つてくれぬ、自分の「古事記伝」の読後感を、もどかしく思った。
そして、それが、殆ど無定形な動揺する感情である事に、はつきり気附いたのである。「宣長の仕事は、批評や非難を承知の上のものだつたのではないでせうか」といふ言葉が、ふと口に出て了つた。
折口氏は、黙つて答へられなかつた。私は恥かしかつた。帰途、氏は駅まで私を送つて来られた。道々、取止めもない雑談を交して来たのだが、お別れしようとした時、不意に、「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」と言はれた。(一)
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