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金閣寺きんかくじ
―放火事件を題材とした告白体による名作―

三島由紀夫(1925~70)の長編小説。
1956年(昭和31)、新潮社から刊行。

1950年に起こった金閣寺放火事件を題材にした作品。

放火犯の青年僧がかかえるコンプレックスや挫折、金閣の美への幻想について告白体で描かれている。

 ――私は激甚の疲労に襲われた。
 幻の金閣はやみの金閣の上にまだありありと見えていた。それは(きら)めきを納めなかった。水ぎわの法水院の勾欄はいかにも謙虚に退き、その(のき)には天竺様(てんじくよう)挿肘(さしひじ)に支えられた潮音洞の勾欄が、池へむかって夢みがちにその胸をさし出していた。

ひさしは池の反映に明るみ、水のゆらめきはそこに定めなく映って動いた。夕日に映え、月に照らされるときの金閣を、何かふしぎに流動するもの、ばたくものに見せていたのは、この水の光りであった。

たゆとう水の反映によって堅固な形態の(いまし)めを解かれ、かかるときの金閣は、永久に揺れうごいている風や水や(ほのお)のような材料で築かれたものかと見えた。

 その美しさは(たぐ)いがなかった。そして私の甚だしい疲労がどこから来たかを私は知っていた。美が最後の機会に又もやその力をふるって、かつて何度となく私を襲った無力感で私を縛ろうとしているのである。私の手足は()えた。今しがたまで行為の一歩手前にいた私は、そこから再びはるか遠く退いていた。

『私は行為の一歩手前まで準備したんだ』と私は(つぶや)いた。『行為そのものは完全に夢みられ、私がその夢を完全に生きた以上、この上行為する必要があるだろうか。もはやそれは無駄事ではあるまいか。